調子に乗り始めた夫
海外に転居、ましてや子連れとなればその手続きが煩雑で膨大なことは想像に難くありません。会社の駐在員帯同家族の説明会、日本人学校やインターナショナルスクールとのコンタクト、日本の不動産業者との賃貸契約……幸子さんは飛び回りながら「こんなに日本でのあれこれが大変ならば、もう少し彼も出発を遅らせてくれたらよかったのに」と考えたそう。
子連れ駐在となれば、現地に関して確認したいことは目白押しです。帰宅してるだろうと夜遅くにテレビ電話をすると、洋治さんは決まって家にはおらず、電話に出ないか、会社がつけてくれている車の後部座席でした。
現在は減少傾向にありますが、郊外の工場への出勤が多い洋治さんの会社では、駐在員にドライバーが運転する車をつけていたのです。
「通勤はもちろん、接待や休日の買い物にも車を出してくれるときいて驚きました。彼もすっかり気が大きくなっていて、電話しながらドライバーにちょっとぞんざいな口をきいている様子がありました。『いくらお給料が出ているからって、こんなに遅くまで接待についてきてもらったら悪いから、先に帰ってもらってタクシーで帰りなよ』と日本から助言しましたが、『彼はそれが仕事だ』と取り合わず。この時、ちらっと、こんな横柄なひとだったかな? と不安になりました」
小さな違和感はありつつも、すべての手続きを終え、期待に胸を膨らませて日本を出発した幸子さんとお子さんたち。現地につくと驚くことの連続だったといいます。
「空港に迎えに来てくれたのは会社の車で、これからは日常生活で私の買い物や習い事にも送迎してくれるといいます。そして新居は緑があふれる素敵な低層マンションで、なんと夫はメイドさんを頼んでいました。駐在員の先輩たちから紹介してもらったそうで、日本語も片言ながら話せる方でした。
ただのサラリーマンが、そんな生活をしていいのか……日本にいた頃の世帯年収は1千万弱で私はパート主婦。都心で子がふたりいますし、住宅ローンの返済もあって決してイメージほど生活に余裕はありませんでした。それなのに駐在した途端これですから、戸惑ってしまって。キャビンアテンダント時代に駐在員の派手な生活は見聞きする機会が多かったので、これは一時的なもの、慣れちゃいけない、という気持ちでした。ところが夫はそうはいかなかったんです」
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