人気カウンセラー・根本裕幸さんの連載、テーマは「しんどい母親の手放し方」。毒母育ちライター・M子のカウンセリングは、ここからいよいよ根本先生の解説ターンへ入っていきます。
“家族との距離はどうだった?”と聞かれて、皆さんはなんと答えるでしょうか。「仲良かったですよ」「うちはサッパリしてるほうだったかな」というように、多くの人は「距離=仲の良さ」と捉えますよね。でも、実はそうではないんです。親子の関係性に大きく影響する、思いがけない要素とは。
“世間体を異様に気にする”母の性格はどこから来たか
根本 そういえば、M子さんの出身はどちらですか。
M子 東京です。
根本 ご両親は?
M子 両親も東京です。なんなら父の実家も母の実家も同じ町内なんですよ。
根本 じゃあご両親は、結婚する前からもともと顔見知りだったってことですね。
M子 そうんです。でも、そんなに近くにいたのにお見合い結婚なんですよね。初めて聞いた時はびっくりしたんですけど。
根本 顔見知り同士でのお見合い結婚、昔気質な地域やお家では多かったらしいですね。なるほど、じゃあM子さん一家はけっこう江戸っ子な感じなのか。ご両親とも生まれ育った地域でそのまま結婚して家庭を持った、いわば”地域密着型”の家族ってことですね。お母さんは、結婚するまでは何をされていたんでしょう。
M子 高校卒業してから結婚するまでは、地元の信用金庫に勤めていたそうです。
根本 その世代の王道パターンですね。他にも何か、お母さんから口出しされたことはありますか? まあいっぱいあると思うんですけども。
M子 思春期になってからは服装やメイクについてですね。高校時代はコギャルブームど真ん中だったので、制服のスカート短くしてルーズソックス履いて、学校にも普通にメイクして行ってたんです。それに対して母からは、「子どものくせに色気づいて、みっともない」と毎朝言われてました。バイトしたお金で服を買えば「そんな服のどこがいいの」とか「お前は金遣いが荒い」とか。
昔から「お前は女なんだから」が口癖で、私がまだ小さい頃から歩き方ひとつ、座り方ひとつに文句を言ってくる人だったんですよね。「誰が見てるか分からないのよ」って。ウチべつにそんな立派な家じゃないじゃん……って、心の中で思ってました(笑)。
根本 お母さんは何年生まれですか?
M子 昭和26年です。
根本 東京が戦後の焼け野原からやっと復興してきた頃ですね。よく言われる江戸っ子の特徴に、“見栄っ張りでプライドが高い”というのがあるでしょう。身なりに気を使うのはまさにお江戸の伝統で、だからお母さん自身もそういう生き方をしてきたんだろうと思います。人目というか、世間体を相当気にされる方ですね。
M子 おっしゃる通りです……!
根本 そんなお母さんに対して、M子さんはだいぶお転婆だったんでしょうか? たとえば小学校の頃はお兄さんよりも活発だったとか。
M子 うーん。運動などはそうでもなかったんですけど、「お前は口が達者すぎる」と、母からいつも言われていました。きょうだいでケンカしても、私が兄を言い負かしちゃうんです。相手が言われたくないことを言っちゃう。それで兄はつい手が出てしまって私が泣く、というのが毎回のパターンで。母に泣きついても、いつも「お前が悪い」と言われました。人が言われたくない、嫌なことを言うからだって。
根本 お母さんも口が達者な方なんですか。
M子 私を否定するための言葉は達者だったと思いますけど。こんな酷い言い方が、なんでそんなポンポン出てくるのかと思ってました。
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