2017.9.19

こう話せば思いは伝わる~朗読が教えてくれた会話術

わたしの朗読原稿です。練習のたびに、読むときの注意点を書き込んでいくので、真っ赤になります。朗読ライブの前日、それをもう一度、新しくプリントアウトした原稿に、静かな気持ちで書き込んで、楽譜のように作り、当日を迎えます。

声がコンプレックスだった

朗読を始めて、今年で10年になります。

こんなに長く続くとは、まったく想像もしていませんでした。

声には、幼少期から大変なコンプレックスがあったからです。

自分の声は気持ちが悪い。たまに学校などで録音したものを聴かなくてはならない時があると、耳を塞いで逃げ出したくなりました。

声にコンプレックスがあると、おしゃべりが苦手になります。

一対一ならなんとか話せても、大勢のなかでは気おされて発言できない。わたしの言うことなんか、きっとつまらないと思われるに違いない、と信じ込んで育ちました。

ところが、大人になって、そんなわたしの声を「良い」というひとが現れたのです。45歳の時でした。

そのひとは一回り以上年下のセラピストでしたが、とても誠実で聡明な彼女に多くのことで助けてもらっていたので、その言葉に耳を傾けないわけにはいきませんでした。

声を使う何かをするといいですよ、朗読とか、とアドバイスされ、半信半疑ながら「桃の庭」と名付けた自主制作イベントを立ち上げたのが2008年のこと。52歳のときでした。

最初は死ぬほど恥ずかしく、早くこの時間が過ぎればいい、と思いながら読み、とても早口になってしまいました。

しかし、そんな自己流ではお客様に失礼だと思い直し、先生についてきちんと学び始めました。

 

声にも道がある

最初のレッスンで不思議なことをやらされました。

先生がかなり離れた場所に立ち、ティッシュをペランと両手に下げています。そこに向かって息を吹きつけてティッシュを動かすのです。

思いきり息を吸って吹くのですが、ティッシュは微動だにしません。

「漫然と息を吹いているので、息が散らばってしまっています。ここに届かせる、と意識してストローを吹くつもりで吹いてごらんなさい」

そう言われ、今度は細く長く、ティッシュまでの距離感を意識して吹くと、ティッシュは少しずつ揺れ始めました。

声にも道がある、とその時、気がつきました。

その道は息が作るのです。まず息があり、その息の道に声が載っていく。それが話す、ということの始まりなのだと、生まれて初めて実感しました。

つまり息を詰めている状態で、言葉だけ発しようとしても言葉は相手に届かないのですね。

それ以降、息をお腹から大きく吐きだし、言葉はそれにゆったりと載せていく、ということを心がけるようになりました。

 

言葉が相手に届くタイムラグ
 

ティッシュが揺れるのは、息を吐いた直後ではなく、少し時間差があります。

つまり、息に載せた声は、発したと同時には相手に届かないのです。

だから、朗読はかなりゆっくり読むことを教えられました。

息が言葉を載せて「声の道」を通り、相手に届く。そして、相手がその言葉を理解するまでには、思いのほか時間がかかるのです。

このことを知り、日常生活、特に仕事の場で、早口を直すよう心掛けるようになりました。

 

話すときは絵をイメージして

息の道に声を確実に載せていく練習とは別に、テキストを徹底的に読み込む作業があります。

誌でも散文でも、言葉にはたくさんの意味やイメージが含まれているからです。

たとえば「風が吹く」という文を読むとき、どのような風なのか、暖かいのか冷たいのか、どちらから吹くのか、その風に吹かれてどんな感覚を持つのか、などひとつひとつの言葉について考え、決めていきます。

わたしは自作の散文を読むことも多いのですが、自作ですら、書いた時と年月が経ってからでは、その作品に対する思いも感覚も違います。

今回は、タスマニアの海での不思議な体験を描いた「女神たち」という自作のエッセイを読む予定ですが、書いた時の激しい、哀愁のある気持ちから、年月を経た今年は、すっきりと晴れやかな明るい気持ちで読みたいと自然に変化しました。

言葉は生きているのですね。だから同じ文章なのに、わたし自身の変化とともに意味も変わってくるのでしょう。

ひとの話を聞くとき、わたしたちは言葉を瞬間的に自分なりの「イメージ」で絵や感覚に変換して受け取っています。

朗読は、だから一字一句、イメージを思い浮かべながら読んでいきます。

ふと集中が切れて、イメージが消えてしまうと、言葉という記号だけが上滑りしてしまい、そういう時は、なにも伝わらないのです。

わたしたちは何という想像力の生きものだろう、と思います。

大事なことを伝えるとき、誤解されそうな内容を話すとき、伝えたい「イメージ」を「絵」にして思い浮かべながら話すと、伝わりやすいような気がします。


朗読は心の体験

眼で読む言葉は頭に入りますが、耳から聴く言葉はイメージを受け取り、ひとは想像力を働かせてそれを理解しようとします。

読む側は、できるだけ相手の想像力が発動しやすいようにイメージを描きながら読みます。

朗読とは、まさに想像力のやり取り。

読む側にも聴く側にも、想像力が豊かに育まれる心の体験なのだと思うのです。
 

【編集部からのお知らせ】
光野桃さんの年に一度の朗読ライブが9月24日(日)に開催されます!

編集部の川良です。いつも『美の眼、日々の眼』をご愛読頂き、またたくさんコメントをお寄せ頂きまして、ありがとうございます。先週に引き続き、光野さんにお会いできるスペシャルな会のお知らせです。

光野桃さんが2008年から2016年まで続けてきたイベント「桃の庭」。そこから引き継いだ朗読ライブが9月24日(日)に開催されることになりました。今年は、ギタリストの諏訪光風さんのソロライブで朗読のために描きおろしたエッセイ「女神たち」を読まれるそうです。

光野さんにお会いしたい方、直接お話しになりたい方はとても貴重な機会ですので、ぜひふるってご応募ください。

光野さんのコメント>>
「眼で読む文は頭に入り、耳で聴く文は心に入る、と言われています。人間の声に最も近い周波数のギターの音色と、静かな朗読に、夏の疲れを癒していただけたら、と思っています。

いつものイベントの大きな会場とは違い、ライブハウスではお客様と近くでお話しできるのが楽しみです。トークもたっぷり。ぜひいらしてくださいね」

諏訪光風ギターソロライブ~旅の記憶
★日時 9月24日(日) 13時開場 13時30分開演
★会場 カフェ エクレルシ
小田急線祖師ヶ谷大蔵駅下車徒歩2分
★料金 3500円(ワンドリンクオーダー)
★お申し込み、お問い合わせ koufuuyoyaku@yahoo.co.jp