平成最後、平成最後と何かと言われる平成最後の年末。何かしら平成を振り返ろうと思ったとき、「平成イケメン史」をまとめようと思いました。
これから3回にわたって、〈黎明期〉、〈最盛期〉、〈転換期〉と3期に分けて振り返ってみます。
まず簡単に、ざっくり3期を説明しますと、こんな感じです。
〈黎明期〉 1989年〜1999年 モデル男子、王子
〈最盛期〉 2000年〜2009年 イケメンライダー、グループ男子
〈転換期〉 2010年〜2018年 スイーツ、おっさん、2.5次元
〈黎明期〉1989年〜1999年
ユニセックスな「フェミ男」が台頭
「イケメン」という言葉の歴史は実はまだそれほど長くはありません。広辞苑に「いけ面」というワードがはじめて掲載されたのは、2008年のことでした。
新聞や一般誌などに「イケメン」というワードが散見されはじめるのは00年以降で、全国区で「イケメン」という言葉が浸透していくのは、日曜お昼の関ジャニ∞の番組『行け行けイケメン!』(00年、日本テレビ)の放送が始まった頃かと思われます。
本格的な「イケメン」ブームは2005年の『花より男子』(TBS)の大ヒットで、07年『花ざかりの君たちへ〜イケメンパラダイス』(フジテレビ)という「イケメン」を堂々とタイトルに冠し、たくさんの若手俳優を出演させたドラマが放送されました。これについては〈最盛期〉の回で詳しく紹介するとしまして、まずは〈黎明期〉を振り返っていきましょう。
〈黎明期〉では「イケメン」という言葉は一般化されていなく、男子の顔を語る言葉としては「しょうゆ顔」「ソース顔」などが主流でした。平成の前の年・1988年、「新語・流行語大賞」(自由国民社選定)で流行語大衆賞をとっています。
この年、【ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト】(出身者に小池徹平、三浦翔平、溝端淳平などがいます)がはじまり、「anan」では「好きな男、嫌いな男」特集がはじまっています。
平成元年を彩った「イケメン」といえば、「JUNON」が主宰する【ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト】の第2回でグランプリを受賞してデビューした武田真治。ユニセックスなファッションの【フェミ男】として人気を博しました。そんな彼が、「めちゃイケ」でお笑い活動、サックスで音楽活動などを経て平成が終わるいま、「みんなで筋肉体操」の大ヒットにより【筋肉男子】として再ブレイクしていることには感慨深いものがあります。現在、急速に性のボーダレス化が進むことを思うと、武田真治の「フェミ男」は時代を先取りしていたと思います。現在マッチョの方向に舵をきったとはいえ、己の肉体の美しさの追求に余念のない精神性は健在です。
メンノン「モデル男子」が大人気
この肉体の美しさは、黎明期のキーワードのひとつであると考えられます。平成になる3年前の86年、【メンズノンノモデル】が誕生しました。そこから現れた阿部寛、大沢たかお、反町隆史、竹野内豊、田辺誠一(50音順 専属、イレギュラー含む)などの「モデル男子」が大人気。彼らはモデルから俳優になって、テレビドラマや映画の主役をどんどん演じていきました。とりわけ、竹野内豊、反町隆史の人気が盛り上がり、97年、月9『ビーチボーイズ』(フジテレビ)は最高視聴率26.5%(第3話)を記録しています。
モデル出身者は、背が高く見栄えがいいことはもちろん、服を美しく見せるすべを体得しているので、映画やドラマでも絵になるのです。持論ですが、服を理解する知性や感性が、役(脚本や演出)を理解することにも生かされているのではないかと思われます。
いまだと東出昌大、坂口健太郎、成田凌が活躍していて、【メンズノンノモデル】はこの30年、安定して実力派イケメンを供給しているといえるでしょう。
さて、武田真治といえば、彼とドラマ『NIGHT HEAD』(92年)で共演した豊川悦司も人気でした。超能力をもったがゆえに孤独を強いられる悲劇的な兄弟を演じて、女子の心をわしづかみした豊川と武田。豊川は「トヨエツ」という略称で愛されました。瞳や指先がなんとも色っぽく、聴覚障害者を演じた『愛しているといってくれ』(95年)の手話の指の動きには目が離せませんでした。豊川は18年、朝ドラ『半分、青い。』でエキセントリックな巨匠漫画家・秋風羽織を生き生きと演じて、ドラマを牽引、トヨエツ健在を示しました。
極端な話、平成の30年は、豊川悦司と武田真治にはじまり終わったとまとめてしまってもよいかもしれません。
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