学校で三角関数を教えることに意味があるのかというテーマがちょっとした議論の的となっているようです。発端となったのは前大阪市長である橋下徹氏が「三角関数は生きていくのに必須な知識ではないのだから、選択制にすればよい」「今はあまりにも死に知識が多い」と発言したことです。

この発言に対しては、三角関数は必要であるとする立場の人から、かなり厳しい批判が寄せられ、これに対して橋下氏の発言を擁護する人からも反論が出ているという状況です。

 

日本人というのは公教育に対して(あるいは今の受験システムに対して)相当な思い入れがあるようで、こうした話になると多くの人が、感情的になる傾向が顕著です。しかしながら、感情的に議論してしまうと、重要な部分を見落としてしまう可能性がありますから、ここは少し冷静になった方がよいでしょう。

教育カリキュラムについて議論する際には、それがどのような人材に対する教育なのかという部分をはっきりさせなければ意味がありません。ここがズレてしまうと、同じテーマでも答えが180度変わってしまうからです。

三角関数は高校で習う科目ですが、現在の高校教育は、商業高校など実学教育を行う一部の学校を除けば、たいていが大学教育の前段階として位置付けられていると思います。

もしそうであれば、三角関数は数学や物理学における基礎中の基礎となりますから、橋下氏を批判している人が主張している通り、学ばなくてもよいという話にはならない可能性が高いでしょう。筆者の大学の専攻は原子力工学なので実感としてよく分かるのですが、三角関数が分からないと、いわゆる理科系の分野については(初歩的なレベルであっても)ほとんどが理解不能だと思います(一般の人が考えるよりもはるかに多くの領域で三角関数が使われています)。

今の時代は理工系の学部を出たからといって皆がエンジニアになるわけではありません。最近、何かと話題のカルロス・ゴーン日産元会長は、フランスの理工系エリート養成学校(グランゼコール)を2つも卒業していますが、彼のキャリアはエンジニアではなく最初からマネジメントです。米国のMBA(経営学修士)ホルダーを見ても、大学での専攻は工学系という人が少なくありません。

社会のIT化や複数分野の融合が進む今の時代は、いわゆる文系・理系(この区分も日本独特ですが)問わず、どちらの分野についても一通りの基礎を大学で学ぶのが主流となっていますし、経団連も大学に対して、そうしたカリキュラムにシフトするよう強く要望しています。

一方、高校教育を義務教育の延長線上としてとらえ、ごく普通の生活を送るための最低限度の知識を得る場所として位置付けるなら、三角関数を覚える必要はまったくないでしょう。多くの論者が指摘している通り、一般的な生活を送る上で、三角関数のような抽象的な思考を求められるケースは皆無に等しいからです。

 
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