彼女を知ったのは、それがキッカケ。そこからできるだけの音源を聴き、動画を観て、七尾さん同様のサムライのような凛とした佇まいと、「哀、ゆえの愛」を深く感じる歌声にノックアウト。それから時を待たずして、イ・ランさんのエッセイ集の邦訳本『悲しくてかっこいい人』が発売されたのですぐに購入しました。

『悲しくてかっこいい人』 イ・ラン(著) 呉 永雅(翻訳)


それは日常のささいなことを憂い、悲しみ、動揺しつつも、その一方で、それらをどこか俯瞰で見下ろし、アハハと笑い飛ばしていくような、爽快感に満ちたエッセイ集。その中には、とてもとても繊細でありながら、キリリッと自分の足で立っている孤高のイ・ランさんの姿があります。

イ・ランさんはあとがきでこう記しています。

「33年(注:イ・ランさんは33歳)、見て暮らしてきた韓国社会が、質問しづらい場所であることはそもそもはじめからわかっていた。学生のときも、先生をやっているときも、同じだった。声にして問いただすことが怖くて、恥ずかしくて、おかしなことだと習って、そう感じながら暮らしてきた。だからわたしは、多くの質問を心の中で投げかけて、一人で答えを探すばかりだった。わたしの中には、いつだって問いかけたいことがあったし、今、ようやくそれらをすこしずつ声に出して質問している」。


イ・ランさんが歌う『イムジン河』。映画『パッチギ』のテーマ曲として記憶されている方も多いと思います。イムジン河は、南北朝鮮を隔てる軍事境界線をまたいでいる川です。南を思い北で作られた歌であり、日本ではしばらく歌うことが禁じられていました。その歌をイ・ランさんは日本語で、手話をまじえて、その川をバッグに歌っています。イ・ランさんのアーティストとしてのスタンスがよく変わるMVだと思います。※ちなみにMVの監督も映像作家でもあるイ・ランさんが担当。

問いかけには終わりがない。問いを続けてしまうことで、私たちはより孤独を深めてしまうこともあると思います。それでも、自分に問い続けること、時には社会に問いかけることが必要で、そうすることで「孤独」は「単なる孤独」ではなくなるのだと考えています。

私は「何かを問い続けているアーティスト=悲しくてかっこいい人」が好きなのだと思いますし、応援していきたいなと思います。そして、自分自身もそういう人に近づけるよう、少しでもふんばって生きていければいいな、なんて思っています。

 


七尾さんの昨年末に行われた犬たちのためのコンサート。そのパンクなあり方に「よ、旅人!」と長年エールを送ってきたわけですが、ここまでくると本当に「天才だ!」と感心するしかないのです。
 

今日のお品書き
先日の「ヴィクシー・エンジェル」についてのさかいもゆるさんに続き、本日は中野円佳さんが「そうあらねばならない」呪縛について一石を投じてくれました。先日の『SPA!』騒動に立ち上がった大学生たちにも感じたことですが、価値観が大きく変わろうとしている今、ひとりひとりが声を上げることの重要性を思います。

 
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