アカデミー賞のノミネートが発表されて、うわあ日本映画が2本も入ってる!とダジャレのように驚いた私です。長編アニメ部門でノミネートされた『ミライの未来』は、未来から来た女子高生(現在は赤ん坊)が、しまい忘れた雛人形に“このままじゃお嫁に行き遅れる!”と大慌てするという、え?過去から来た女子高生じゃなくて?という、この時代になんともアレな描写があり、アカデミーって分かってんのかな~?という気がしなくもないのですが、『万引き家族』のノミネートはほんとに喜ばしいこと。もしかして見ていない方は、ぜひこちらを読んでいただけたら…と軽く宣伝。
『誰も知らない』から『万引き家族』へ
是枝裕和監督が切り取った家族
この間、ミモレで柳楽優弥さんのインタビューをさせていただいたのですが、彼はまさに是枝さんが見出した俳優さん。そのデビュー作こそが、15年前にカンヌ映画祭で最年少主演男優賞を獲得した(そして是枝裕和の名を世界に知らしめた)『誰も知らない』なわけです。この作品は1988年に実際に起こった「巣鴨子供置き去り事件」に材を取った作品で、父親が蒸発した家庭で、母親が4人の子供を置き去りにした末に起こった痛切な悲劇を描き、公開当時(2004年)はまだそれほどメジャーではなかった「ネグレクト」がどういうものかを、穏やかながら強烈に世に示した作品でした。
一方の『万引き家族』は、万引きで食いつなぐ貧しい一家を描いた作品。物語はリリー・フランキー演じる父親が、両親にネグレクトされた少女を拾うところから始まります。そういう意味で『万引き家族』は『誰も知らない』と直結した作品、同列の作品と言ってもいいなあ。『誰も知らない』の柳楽君とその弟妹たちは、もしかしたら『万引き家族』のリリー・フランキーに拾われていたかも、なーんて私は想像したりします。
「万引きを肯定する話」「日本人を貶めるもの」?
なのですが。
私が興味深く見るのは、それぞれが公開された時の世間の反応です。『誰も知らない』が公開された2004年、世間はこの映画に打ちのめされ、すごく怒っていたのを記憶しています。父親の違う4人の子供を産んでなお、男ができると子供を平気でほったらかす母親に、「母親は何やってんだだ!」「産みっぱなしで育てない、母親として無責任すぎる」と。「父親こそスーパー無責任に、産ませっぱなしで蒸発してるじゃん」と思わないではない私でしたが、その反応はある意味ではまっとうだったと、今となってはそう思い返します。
でもそこから14年後に作られた『万引き家族』に対して、「万引きを肯定する映画」「日本人でなく外国人の家族に違いない」「日本人を悪のように貶めている」「反日的印象操作のプロパガンダ映画」……などという反応が。はぁ?てか、“万引きGメン”見てないの?
てか、“万引きする家族”ってただの映画の設定だし。てか、これが「日本人を貶める」なら、全員悪党皆殺しの『アウトレイジ』のほうが印象悪いですけど――といちいち反論する自分がバカに思えてくるくらい、いろんなことがトンチンカンです。
ええでもここはさせていただきますよ、反論を。
トンチンカンな反応の背景にあるのは、おそらく「万引き」「貧困」といった印象の悪いものへの拒絶反応です。それは人により「きれいなものだけ見ていたい」「どうにもならないから、見なかったことにしたい」「辛いから知りたくない」などのグラデーションを経て、「その存在自体を認めない/認めたくない/認めるわけにはいかない」に至ります。でも劇中にあるネグレクトもDVも、非正規ゆえの雇止めも、生活のために万引きする人も、もちろん生活保護の不正受給や年金詐欺も、実際に毎日のようにニュースで報道されています。少なくとも15年前の『誰も知らない』の時には、こういう声は聞いたことがありません。実際に事件だから?だとしても「これ88年の話だし、今はないでしょ?」みたいなことを言ってる人も、私の記憶にはありません。
それでも「あんな家族がいるわけない」と言うならば、そうね、それはそうかもしれません。あんなふうに集まった家族が、みんなで夏の夜に花火を見上げることも、海水浴に行くことも、そもそも肩を寄せ合える家なんて実際にはありえないんでしょう。現実はきっと、もっともっと厳しい。両親にネグレクトされ屋外に放置された幼い少女は、そこで終わるしかない。連れ帰って面倒みてくれる人なんて、現実にはいるはずないんですから。
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