豊岡市のもう一つの特徴は、教育政策と文化政策を連動させている点にある。

豊岡市では、小学校2年生は全員、私が子ども向けに創った『サンタクロース会議』という作品を観劇し、6年生は近畿最古の芝居小屋である出石の永楽館で狂言を鑑賞する。

こうして授業や演劇鑑賞といった公教育で演劇に触れ、さらに関心を持った子どもたちは、城崎国際アートセンターで、ほぼ毎月、無料で最先端の演劇やコンテンポラリーダンスの公開リハーサルを観ることができる。もっと先に進みたいと考える中高生には、豊岡駅前にある市民プラザという別の施設で、東京や大阪から招いたプロの演出家による指導で、一週間ほどかけて演劇を創るワークショップなども用意されている。これらは現状でも、ほぼ無償で子どもたちに提供されている。ここに大学ができれば、大学の教員が新しいプログラムを地域に向けてさらに提供していくことになる。

地方創生戦略から生まれた、世界でも類を見ない「学びのかたち」_img0
 

前後して、但馬圏域の多くの高校でも演劇的手法を使ったコミュニケーション教育が始まった。これも、大学が開学すれば「高大接続」ということで、大学の教員が担当する授業を開講したり、高校生が大学の講義を受けることが可能になり、より多様なプログラムを組むことができるようになる。このまま進めば、数年後には幼児教育から大学まで、豊岡、但馬は、世界有数の演劇教育の最先端地域となる。

「劇場」とは、いわゆる鑑賞を中心とした「学習機能」、ワークショップなどの「交流機能」、そして作品を創っていく「創造・発信機能」を持った施設でなければならないと考えられている。私はこれをよく病院に例える。総合病院は、もちろん病気やけがの治療もするが、健康相談や健康診断も行うし、新薬の開発、治験など最先端の研究も行わなければならない。これからの公共劇場には、同じような多様な機能が求められる。

豊岡市は、2005年、一市五町が合併してできた兵庫県で最も広い市だ。全国の合併自治体と同様に、余剰施設を多く抱えている。そこで豊岡市では、劇場が持つべき多様な機能を、いくつかの劇場に分散させた。これを私は「劇場機能の水平分業」と呼んできた。

具体的には、


学習(鑑賞)機能……豊岡市民会館、出石永楽館

交流機能………………豊岡市民プラザ

発信・創造機能………城崎国際アートセンター

という具合だ。市民会館は、いわゆる普通の劇場で、コンサートやカラオケ大会にも利用される。永楽館は前述の通り近畿最古の芝居小屋で、毎年秋には片岡愛之助さん一座の歌舞伎の興行も行われる。

市民プラザは豊岡駅に直結しており交通の便がいい。城崎国際アートセンターは前述の通り、最先端のアートの発信地となっている。

人口の少ない旧但東町(東端)は旧出石町に、旧竹野町(西北端)は旧城崎町にそれぞれ隣接している。ただ、旧豊岡市に次ぐ人口を有する旧日高町だけが演劇施設から遠く、エアポケットのようになっていた。そこで、来年度には、この日高町の旧町役場を改装して、新たに小劇場を作り、そこを私たちの劇団の拠点とすることになった。私の学長就任、豊岡移住に伴い、劇団も移転することになったのだ。

さらに、来年から、こうした市内の様々な文化施設を使って「豊岡国際演劇祭」も開催する(今年は九月に第0回を先行実施)。

南仏で開かれる世界最大の演劇祭であるアヴィニヨン演劇祭は、正式招待作品は30演目程度だが、「フリンジ」と呼ばれる自主参加の演目を加えると一ヵ月に最大で千数百の演劇やダンスの上演が行われることになる。

期間中、市内の様々な施設、教会も納屋も駐車場も、すべてが劇場になり、朝9時から夜の12時過ぎまで入れ替わり立ち替わり、様々な公演が行われる。少しでも評判がいいと、まず有力ブロガーが観劇に来る。いいブログがいくつか出ると、本職の批評家たちもやってきて、気に入られれば新聞記事になる。各芝居小屋の前には、それらが貼られた掲示板があり、勝ち組と負け組がはっきり分かれる。

この演劇祭には、世界中から劇場プロデューサーや芸術監督、演劇フェスティバルのディレクターなどがやってくる。最終的には、この人たちが作品を観て、気に入れば翌朝には、すぐに路頭のカフェで商談となる。こうして新しい才能が、ヨーロッパに何千とある劇場、何百とあるフェスティバルに買い付けられていく。この自由参加(フリンジ)を中心として見本市的な機能を持ったフェスティバルは、まだアジアではどこも成功していない。

豊岡には、城崎温泉だけではなく神鍋高原という巨大な宿泊施設群がある。演劇祭開催予定の九月には、すでに閑散期に入っているので、これを実行委員会が借り上げて宿泊場所を提供する。すでに劇場施設は多くあり、さらに空き店舗などを上演空間として利用する。

新設の専門職大学は、完全クォーター制(四学期制)を予定しており、七月から九月の夏学期は、主に臨地実習や短期留学の期間に充てられる。1学年80人の小さな大学だが、半分の学生がこの演劇祭での実習コースを受講するとすれば、150名の専門性の高い学生ボランティアが始めから用意されている、極めて恵まれた演劇祭となる。

ここで模索しているのは、地域に密接に関わり、幼児教育、初等教育からきちんと積み上げを行いながら、しかも国際社会への扉も開かれている、そういった新しい「学びのかたち」だ。世界でも類を見ない試みが、いま人口8万人の町で始まろうとしている。

(つづく)

 
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