先日、実家にひとりで暮らしている母がたおれました。幸い大事にはいたらず、今は胸を撫で下ろしているところですが、急に自分の前に現実が突きつけられた気持ちになったのも事実。「どうしよう!」とパニックする自分と同時に、たしかに、どこかで冷静に思う自分がいたのです、「母がいなくなったら地元に帰る意味がほぼなくなる。あぁ、家族って、いつか終わるのだな」と。

その時の自分の気持ちを咀嚼できないまま手にしたのが、酒井順子さんの『家族終了』でした。そこの「はじめに」の中に、同じく酒井さんが「家族って、終わるんだな」と思ったことが記されてあり、その共時性に身震いしながら、そして読み進めるほどに感じ入りながら読了しました。

『家族終了』と『きのう何食べた?』。いつか「家族」には終わりがくるのかもしれない_img0
親が好きですか? 子供が好きですか? 夫婦で同じお墓に入りたいですか? 帰りたい家はありますか? 一緒に暮らしたいのは誰ですか? ご両親、お兄様が他界され、「家族終了」を感じた酒井順子さんが、これからの日本の「家族」のあり方を考えた意欲作。もちろん、これまでの作品同様、客観的、なのにとっても温かい酒井節が炸裂しております。「家族終了」


従来は、国から「あなた達はちゃんとした家族です」と認められた人だけが家族として生きることができましたが、これからは、自分たちが「家族だ」と思えば、どのような形態であっても家族になっていくのではないでしょうか。〜『家族終了』新しい家族より〜

実家に帰れば親が自分を出迎えてくれ、盆と正月にはそこに兄家族と弟家族と一緒に集まって……「当たり前だと考えていたことにも終わりがくる」という、当たり前の事実にハッとさせられた今春。2018年。平成が30年を過ぎた頃に、やっと昭和的価値観がリセットされたと、加谷さんの記事にありましたが、これから始まる令和には、私たちが考えてきた「家族」というあり方自体もリセットされていくのかもしれない。酒井さんの著書を読み、そんな予感がヒシヒシと。

たとえば、井筒ちゃんがブログで取り上げたドラマ『きのう何食べた?』に出てくるシロさんとケンジさんのあり方もその「つながりの形態」のひとつ。居心地が良い相手だと互いに認め合う2人が同居し、日々の暮らしを淡々と、かつ丁寧に紡いでいくストーリーは、「恋愛」というより「夫婦」のそれとして語られているかのよう。何より、それは日々のホッとする市井の献立に象徴されています。だって、そうでなければ繰り広げられる献立がもっと気張ったもの(ハレの日ごはん)になっていたと思うから(とはいえ、品数が多いのですが! ちなみに、原作のよしながふみさんは、品数についても、「筧がどうしてもあと一品の呪いにかかっているだけ」とも!?)。原作を読むと、「共に老いる」ことの意味を考えさせられる文脈も盛り込まれているため、これからの時代の家族のあり方=「誰と一緒に暮らしたいですか?問題」を私たちに問いかけてくる物語なのだよな〜、としみじみとドラマを楽しんでおります。

そうそう、以前の阿佐ヶ谷姉妹さんのインタビューも、「これからの家族」のあり方を考えるということを皆様に投げかけてみたかった記事です。

現状国から認められている「これまでの家族」の形態だけにとらわれることなく、個々人が思い思いにつながっていく。それぞれが心地良いと思う「つながり」に身を置くことができ、自分とは違う「つながり」をそれぞれに認め合える、そんな時代になっていけばいいな、と私は思うのです。

今日のお品書き
シンプルな中にエッジを効かせたスタイリングで大人気のスタイリスト斉藤美恵さんがファッションのお悩み相談に答える特集がスタート。第1回目のお悩みは、「スカート派におすすめのトレンチコート以外の春アウターが知りたい!」です。紹介されているコート、私も欲しい(笑)。