あらすじ
はじめての駅伝を成功させた金栗四三(中村勘九郎)はその後も走者として大活躍。妻・スヤ(綾瀬はるか)も妊娠し、公私共に絶好調。一方、戦争で中止になったオリンピックが戦争終結により再び行われることになり、嘉納治五郎(役所広司)は神宮外苑にスタジアムを作ろうと奮起する。 主軸以外では、美川(勝地涼)が久々に四三のもとに顔を出す。小梅(橋本愛)とつきあっているらしく、文学から絵画の道にシフトしていた。また、美濃部孝蔵(森山未來)は営業の旅を終えてようやく東京に戻ってきたものの、小梅を寝取ったという濡れ衣によりヤクザに追われ再び東京を出る羽目になる。
「大河」と「朝ドラ」とは何なのか
はじまったときから「いだてん」が“大河ドラマ”というより“朝ドラ”みたいだという意見がSNSで散見されていたが、18回「愛の夢」は女子の体育に視点を置き、本格的に朝ドラ化してきたかのようだった(演出は朝ドラ「ひよっこ」の演出も手がけた若手・松木健祐さん)。私は大河でも朝ドラでも関係なく、「いだてん」が面白いから見ているが、ここで一度「大河」と「朝ドラ」とは何なのかということを考えてみたい。
なぜ「いだてん」が朝ドラみたいと言われるのか。市井の者たちの日常を描く、いわば「世話物」だから。18回でも播磨屋(三宅弘城)が四三のために足袋を改良につぐ改良をして走りに特化した足袋靴の原型を作り上げるエピソードがあり、これぞ市井の者たちの人情物語。でも、大方の人が抱く大河ドラマのイメージは歴史的偉人による知力と武力を駆使したわくわく活劇だ。
いやいや、金栗四三だって立派な歴史的偉人だと私は思うが、知力と体力はあっても武力がない。戦国武将よりは知名度もないだろう。すみません、私も知りませんでした。でも知らない人の偉業を知ることが楽しい、ゆえに「いだてん」は知的好奇心をくすぐられてすこぶる楽しいと思うのだが、大河ドラマはみんながよく知る偉人のドラマという先入観が世の中を覆っているようだ。そんななか、18回「愛の夢」は開き直ったのか、本格的に朝ドラ化の兆しを見せる。朝ドラの世間的なイメージは、視聴者の代表のような女子が夢に向かってがんばる物語。とりわけ、女性が男性より活躍できない時代に勇気をもって立ち上がっていく女性の物語が好まれる。絶対王者「おしん」然り、先日放送された朝ドラ100作記念特番で視聴者の選ぶベスト10の一位に選ばれた「あさが来た」然り。
…と書いてるときに、第2部の新キャストが発表された。これがまた朝ドラキャスト率が高い。「あまちゃん」に出ていた薬師丸ひろ子、塩見三省、「半分、青い。」の塚本晋也、「まんぷく」からは桐谷健太に加藤雅也、「なつぞら」のリリー・フランキーまで! すでに発表されている斎藤工や林遣都も朝ドラを盛り上げた俳優だ。もちろん人気も実力も兼ね備えた俳優は朝ドラだろうと大河だろうと引っ張りだこになるものとはいえ、やっぱり開き直ったようにも感じられないこともない。
そんな「いだてん」では目下女子の体育の黎明期が描かれはじめ、大正時代の美人は「花顔柳腰」が良しとされ、運動するとブサイクになると言われていたこと、運動するにしても露出の多い服装はしなかったことなどが紹介された。あの先進的な嘉納治五郎すら、女子の走りはブサイクだと言い、女性は子供を生むためのふくよかな体を作ることが大事だから運動して体型を変えてはいけないと平気で言い放つ。もしこれが現代のSNSで発信されたら大炎上することまちがいない。そんな女子的に悔しい状況に異を唱える者たちが現れはじめた。
お仕えしていた三島弥彦(生田斗真)の運動する姿に魅入られ、たとえ世間からブサイクになると言われても走りたいシマ(杉咲花)。海外留学から帰国し女子の体育活性化に尽力する二階堂トクヨ(寺島しのぶ)。シマは男性と同じように強靭な筋力と速度を求め、トクヨは女性ならではのたおやかさを活かした運動を目指す。ふたつの視点が描かれた。
和装の7つの罪
二階堂トクヨは「和装には7つの罪がある」と提唱し、チュニック着用をはじめる。
和装の7つの大罪がこれ。
第一 厚つ苦しい襟
第二 紐まみれ
第三 あんどん包みの下半身
第四 袖は水びたし
第五 たすき掛け
第六 腋が丸見え
第七 締め付ける帯
確かにひらひらとキツキツのコラボである和装は運動には不向きかもしれない。
トクヨを演じる寺島しのぶは歌舞伎の名門に生まれながら女性ゆえに歌舞伎役者になれなかった人だからこういう男女の差に葛藤を抱える役はほんとうに合っている。
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