10年日記を書き始めてから6年目に入りました。なかなか続けられなかった日記ですが、「メモ程度でいい」と割り切った途端に続けられるようになりました。

お見せできるページはないのですが(苦笑)、1見開きに1日分。たとえば、5月31日が10年分横罫線で区切られているだけ。その見開きを開けば、その1日に起こったこと、思ったことが10年分一気に見られるというわけです。閏年の分も含めて366見開き。さらに、月をまたいでいるところには、もっと分量が書き込める1ヶ月ごとの総括が10年分書けるスペースもあります。アプリでも「10年日記」はあるようですが、やっぱり筆致の丁寧さ、乱暴さにも自分の心が出ているようで、私は手書きタイプがオススメです(旅行や出張時などは、帰宅後に思い出しながらまとめ書きしなくてはいけませんけれど)。


なんといっても醍醐味は書き込みながら前年の自分の行動や思考と比べられる2年目から。1年前のことが遠く感じたり、逆に3年前のことが近く感じたり。同じアーティストのライブを絶賛していたり、酷評していたり(笑)。ただ天候のことしか書いていない日があったり、天気で気分が上がり下がりしていることが分かったり……それらを眺めているだけで楽しめますし、年を重ねるごとに読み物として(もちろん自分が楽しむだけの読み物として!)、どんどん面白みが増していきます。

もちろん書き込み方によると思うのですが、6年も続けていると自分の思考のクセやバイオリズムがおもしろいほどに読み解けてくるんです。私の場合、顕著だったのは、落ち込んでいた後のリカバーの方法やそこからのV字回復にかかる所要時間がだいたい同じだったということ(笑)。そして、どんなに悩んでいたことがあったとしても読み返してみれば、なぜ自分がそこまでそれに執着していたのか自分でも理解できないほど。数年分の自分を振り返れば、「悩みは時間が解決してくれる」ということは明白。現状の苦境に対し、「ま、どうにかなるよね!」と思う、自分への勇気づけ、元気づけの効能もあるかもしれません。

日記というものは、自分の取り扱い説明書をつくるための「私の私による私のためのビッグデータ」なのだな、と。そして、これはどこかの企業に使われることはない、本当の自分自身が詰まったビッグデータなのであります! 

 
  • 1
  • 2