近年、若い世代を中心に人気を集める東京の下町地区。「文京区、台東区には昔ながらの美味しいものもたくさんあるし、プラプラ歩いていて気づくと文学散歩になっているんですよ」と語るのは、自身も文京区に住む作家・中島京子さん。

新刊『夢見る帝国図書館』は、そんな場所――明治期に上野公園に隣接する場所に作られた帝国図書館(現・国際子ども図書館)を巡る物語。そこに集った文豪たちのエピソードや、彼らが(そしてもちろん中島さんが)愛する美味しいものたちが、ユーモアたっぷりに描かれてゆきます。そしてそうするうちに迷い込む作品世界は、様々な時代が折り重なる東京ならではの「物語」と、人にとって「本」が必要な理由を教えてくれます。

作家・中島京子 1964年東京都生まれ。東京女子大学卒業。出版社勤務を経て、2003年『FUTON』で小説家デビュー。10年『小さいおうち』で直木賞受賞。14年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞受賞。15年『かたづの!』で河合隼雄物語賞、歴史時代作家クラブ賞作品賞、柴田錬三郎賞を受賞。同年『長いお別れ』で中央公論文芸賞受賞。16年、同作で日本医療小説大賞受賞。


「東洋一!」になりそびれた、帝国図書館の魅力


定期的に「東京小説」ともいえる作品を描きたくなるという中島さん。

「目まぐるしく刷新されてゆく東京は、ちょっと掘ればいろんなものが出てくる場所でもあります。実際に散歩していると、とても古いものや知られざる歴史にぶつかったり。時には少し辛い歴史もありますが、そういうものもひっくるめたさまざまな思いが積み重なっているのが、東京の魅力だなと思います」

最新作『夢見る帝国図書館』もそんな作品。物語の主人公は、明治時代に作られた日本初の近代図書館です。

「1906年に建てられた建物は、現在も国際子ども図書館として使われていて、本当に素敵なんですよ。図書館事業自体は、明治維新直後に“近代国家にあってしかるべき”という理由で始まったのですが、とにかく当時の唯一の国立図書館なので、あらゆる明治文豪が通っている。そのエピソードを小説にできないかな、というのが最初でした。“これはイケる”と思ったのは、当初は“東洋一の図書館を!”と堂々たる「ロの字型」で設計されていたのに、様々な予算の削減で結局「ロ」の一辺しか作れなかった……というエピソードを知ったことでしょうか。関係者が頑張ってようやく作り足したけれど、L字にもなっていない、Lの小文字(l)止まり。志は高かったのに……っていう、切ないけどなんか笑っちゃう感じを書きたいなと(笑)」

作品を読んでみると、中島さんのこれまでの小説――例えば、戦中の東京のある家庭を女中の目線から書いた直木賞作品『小さいおうち』や、田山花袋の『蒲団』に材を取ったデビュー作『FUTON』などが思い出されます。

「デビュー作の『FUTON』にも切支丹坂(文京区小日向)が出てきます。『小さいおうち』の後の時代、“戦後”を描いてみたいなという思いもありましたが、むしろその前の作品、永井荷風や林芙美子の作品を題材にした『女中譚』に近いですね。そういう意味では、“近代文学モノ”とも言えますね」

実はこの物語には、「帝国図書館」が「国立国会図書館」になった後の“戦後”パートを担当する、もう一人の主人公がいます。それが、図書館と本に強い思い入れを持つ「喜和子」と言う女性です。


戦後に、一応、男女平等になったはずなのに……


喜和子がどんな女性かは、後に触れるとして。図書館と彼女の在所は、なぜ「上野」だったのでしょうか。中島さんはこう答えます。

「帝国図書館の歴史について調べるうちに、上野という場所にすごく興味を持ったんです。上野公園は、もとは徳川家の菩提寺である寛永寺の境内が、上野戦争(戊辰戦争:明治政府軍と旧幕府軍による戦闘のひとつ)で焼き払われた更地になった場所。それが、帝国図書館と同じ“近代国家たるものに必要”という発想で公園になったと聞きます。つまり上野公園は明治という時代によってできたとても“近代史的”な場所なんです」

そうして誕生した上野という町には、戦後も印象的なエピソード――闇市から発展したアメヤ横丁、焼け出された人々が作ったバラック街と、その跡地に建つ文化施設など――に事欠きません。現代から遡る喜和子さんの個人史は、そんな出来事に様々な形で関わりながら、終戦直後の上野駅にたどり着きます。

「喜和子さんには、その当時上野駅周辺に無数にいた“戦災孤児”のイメージがありました。彼らは、何の罪もないのに、家を失い、親を失い、邪魔者扱いされ……生きるために様々な辛いことを経験した人たちです。最近では“戦争の暗部をなかったことにしてはいけない”と口を開く人も出始めていますが、多くの人が周囲にその過去を言わずにいた。小説には直接的には描いてはいませんが、頭の中には常にそれがありました」

関東大震災や戦後で混乱する人たちが――そして実は東日本大震災の夜に、家に帰れずに困った人たちも――居場所を求め、集まったのが上野でした。喜和子さんは、そうした名もなき人々を象徴する存在にも思えます。作品随所に、差別や偏見で寄る辺を失った少数派への目くばせがあるからかもしれません。

「書いているうちにそうなってしまったんですよね。理由の1つには――実体験ではないので勝手な想像ですが――終戦直後という時代にある種の解放感を感じたから。戦時中の抑圧が一気になくなって、誰もが自由に生ようとしていたんじゃないかというイメージがあったんです。もうひとつは昨今の#MeTooの流れの中で、戦後に男女平等が定められたけれど、その当時はどんな感じだったのかなと考えて。だっていまだに女性はいろんな部分で苦労させられることが多いじゃないですか」

 
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