身内が自死をしたとき、失った悲しみと同時に、「生きたくても生きられない人もいるのに自ら命を断って申し訳ない」という気持ちを抱えて苦しむ家族も少なくありません。7年前に夫である流通ジャーナリストの金子哲雄氏を亡くし、現在、終活ジャーナリストとして活動されている金子稚子さんは、「死は差別できるものではない」とお話しされています。

 

Chauchauさんからの質問

Q. 甥が自死をし、悲しくて悲しくて、人生に対する信頼が揺らいでいます。
 

昨年、甥を自死で亡くしました。過労からうつになったのだとおもいます。まだ、21歳でした。いつも明るく、冗談ばかりいう、優しい男の子でした。大好きでした。彼を失ってから、私の人生に対する信頼が揺らいています。会社が辛くなったり、ふとした時に涙が出てしまったり。弱っているんだと思います。でも私には大切な夫がおり、仕事も部下もいます。落ち込んでいる弟一家も母も助けてあげたい。何とかこの辛い時を乗り越えたい。どうしたら揺らいだ人生への信頼を取り戻せるでしょうか。夫以外の人に相談したのは初めてです。書いている間に自分の気持ちが整理されました。機会を得たことに感謝します。(48歳)


終活ジャーナリスト 金子稚子さんの回答

A. 乗り越える必要も「人のため」を思う必要もありません。今は自分の気持ちだけを大事になさってください。


本当にお辛いことと思います。今はどうか、お辛い気持ちを大事になさってください。我慢をしたり、気持ちに蓋をしたりしないでいただけたらと思います。Chauchauさんは、甥御さん家族を助けてあげたいとおっしゃっていますが、「人のため」の行動を起こす必要は全くありません。さらに言いますと、「人のために」と思う必要もありません。自分のことだけに集中して生きていいと、私は思います。というのも、亡くなった人と自分との関係は、1対1だからです。自分自身は誰にも代わってもらうことができませんし、甥御さんにも誰も代わることはできません。だから他の誰かよりも、甥御さんのことを思うChauchauさん自身の気持ちを大事にしてほしいと思うのです。

ご相談には「辛い気持ちを乗り越えたい」と書いていらっしゃいましたが、そう思う必要すらないと私は思っているのです。ただアドバイスを差し上げられるとしたら、目の前の一歩に集中してみてください、ということです。先のことを考える必要はないのです。悲しんでいる場合ではない、目の前の仕事をしなければならないというのならば、その一瞬一瞬だけに集中するようにしてください。たしかに多くの死別経験者は「悲しみを乗り越えた」と言います。恐らく私も、夫を亡くした悲しみを乗り越えたように見えていることと思います。でも私は、乗り越える必要はないし、そもそも乗り越えるものでも乗り越えられるものでもないと考えているのです。もちろん、「この悲しみから逃れたい」と思ったなら、それも良いのです。頑張っている自分も大事にしてほしいと思います。

ただ一つ気になったのは、Chauchauさんが「人生に対する信頼がなくなった」と書かれていたことです。私にとっては、人生とは“揺らぎ”そのものです。確固たるものは何もない、不安定にさまよい揺れていることそのものが、生きているということ。そう気がついたら、死別の感情とも上手く付き合えるようになりました。皆さんにとって、ベストな状態とはどのような状態でしょう? 何も悩みがない状態がそうだという方もいらっしゃると思いますが、私は、そんなものすごく幸せだ!という状態と、沼の底のような何も見えないというドン底との真ん中が、ベストな状態ではないかと思っているのです。だから、ハッピーな時にもドン底の時にも、その両端の“真ん中”にいる自分を意識しています。ですからChauchau さんにも、どうか“真ん中”を意識してみていただけたらと思います。今はまだ、それも難しいかもしれませんが、人生には良いも悪いもない、と気づける日がくるといいなと思います。

 
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