雅子さまに想いを寄せる皇太子さまが選んだ初デートの場所
皇太子妃の有力候補として雅子さんの名前が浮上
賀陽さんの思い出話は続きます。
「飲み物をいただきながら、学生時代、とくに英米両国の生活スタイルや、ソフトボールと登山といったお互いの趣味であるスポーツなどについて、3時間ほど楽しく語り合いました。
はじめのうちこそお二人とも緊張気味でしたが、次第にうちとけ、最後は明るい笑い声が出るほど非常に会話が弾んでおられました。
殿下はまじめな方で、女性に対する接し方もものすごく慎重でしたが、この時はどんどん積極的に話され、はじめて見るその姿勢にびっくりしたことを覚えています。
『才色兼備』という言葉がありますが、小和田さんの場合、存在感というか、相手の気持ちを引きつける魅力があり、ほんとうに素敵な女性でした。経歴からするといかにもエリート然とした女性と思われがちですが、けっしてそんなことはありません。
殿下と同じように常に相手を尊重される方で、殿下の話に耳を傾け、きちんと受け答えしていました。姿勢、マナー、ファッションなどもとても洗練されていて、一言で言えば、感じのいい女性。殿下もそうした魅力に惹かれていったのではないでしょうか。
殿下は目鼻立ちのはっきりした女性が好きなので、小和田さんはまさしくぴったり。それに(結婚するなら)『価値観を同じくするというのが大切。他人の痛みをわかる人であってほしいと思います』と言われていますが、その点でも最適です。
帰路、小和田さんとJR信濃町駅までご一緒させていただきましたが、小和田さんも(浩宮さまに対して)いい印象を持っておられたと思います」
こうして、皇太子妃の有力候補として、小和田雅子さんの名前がはじめて浮かび上がってきたのです。
やがて時は流れ、年が明けます。
昭和63年(1988年)3月、雅子さんは外交官補に任官され、7月1日には在外研修生として英国オックスフォード大学ベーリオールコレッジに2年間の予定で留学してしまいます。
そのため、ここで皇太子妃候補の報道は、いったん静まってしまうのでした。
浩宮さまの恋は、いったいどうなってしまうのでしょう。
次の回は、浩宮さまがしたある決断のお話です。
美智子さまから雅子さまへ 三部作1 美智子さまの想いが雅子さまへ 雅子妃誕生
価格 1500円(税抜)
外交官だった小和田雅子さんは、皇太子・浩宮さまに見初められて皇室に入ることに。雅子さまの生い立ちやから皇太子の熱い求愛、ご成婚までの軌跡が余すところなく盛り込まれた作品。雅子さまと同じく、平民から皇室に入られた美智子さまのお姿を交えて描きます。
美智子さまから雅子さまへ 三部作2 美智子さまもご祝福 雅子さまに愛子さま誕生
価格 1500円(税抜)
涙の流産を乗り越え、愛子さまをご出産された雅子さまの苦悩と喜びのすべてが一冊に。皇室という見知らぬ世界に入り、お子さまを生まなければならない重圧を、雅子さまはどのように乗り越えたのでしょうか。美智子さまから雅子さまに伝える母の想いを織り込みます。
美智子さまから雅子さまへ 三部作3 美智子さまもお支えに 雅子さまご成婚十年の苦悩
価格 1500円(税抜)
愛子さまをご出産されたのち、適応障害になり長期の療養生活を送られた雅子さま。ご成婚から10年を迎え、病と闘われているご様子に触れた作品です。雅子さまをやさしく包み込む、皇太子浩宮さまと美智子さまの愛に胸打たれます。
敬称・名称・地名・施設名・大会名・催し物名など、
その当時のものを使用しています。
写真/渡邉みどり(クレジットのないもの)
構成/高木香織、片岡千晶(編集部)
第1回「雅子さまの語学力を育んだ「家庭の方針」とは?〜幼少時のアメリカ生活と好きな童話」はこちら>>
第2回「 雅子さまがロシア語を話せる理由〜モスクワでの幼少生活 」はこちら>>
第3回「 雅子さまの小学校時代の作文を公開「ピアノ、スポーツ、生きものがお好きなおてんば少女」 」はこちら>>
第4回「 スポーツ万能の雅子さま「中学時代に熱中したソフトボールとスキー」 」はこちら>>
第5回「ニックネームは「ブレイン(頭脳)」。ハーバード大学で磨きをかける雅子さま」はこちら>>
第6回「雅子さまと美智子さま、二人のプリンセスを育てた名門・雙葉学園の教えとは?」はこちら>>
第7回「雅子さま、40倍の難関試験に一発合格「外交官を目指した理由と憧れの先輩」」はこちら>>
第8回「雅子さまに一目惚れした皇太子さま、3カ月の間に4回の運命の赤い糸」はこちら>>
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