「家にある本の数が学力格差につながる」は本当か_img0
 

子育ては予測不可能なことばかりで、親がこのように育てたいと思っても、その方向に子どもが育ってくれるとは限りません。統計的に示される相関関係も、目の前の我が子がそうなることの確約にはなりません。

 

日本は欧州ほど階層社会ではない、米国ほど移民や人種間での格差は深刻ではない…そうは言われても、実は日本でも親の学歴や収入により子どもの学力に格差が生じていることはすでに多くの研究で指摘されています。親の期待が教育の姿勢や投資につながるとか、家庭環境が影響を与えているなどの研究の蓄積があります。

フランスの社会学者、ピエール・ブルデューは「文化資本」という概念で、家庭にある本や楽器、骨とう品などの文化財、そして身体化される芸術感覚や言語、立ち振る舞いなどハビトゥスと呼ばれるものなどが地位の再生産につながることを説明しています。関連書籍を読みながら自分自身のことを考えても、中間階級以下の家庭で育った者として上級階級の者を真似しようとしても、それは身体に刷り込まれたものであって一朝一夕には身につかないのだなと思わせられます。

ブルデューの議論は決して子育て戦略を立てるためのものではないのですが、文化資本の中でも、比較的増やしやすいものもあります。その一つが読書環境です。文化環境を調べる調査では、本の数や幼いころの読み聞かせの有無を聞いているものがあり、これはクラシック音楽を聴く、美術館や博物館に行く等の項目に比べて階層差がでていません。

最近話題の新井紀子さんの『AIに負けない子どもたちを育てる』では、穴埋めドリルばかりをしていると問題の全容を理解しないままキーワードだけ見て答える癖がつき、その結果、最近の子どもの読解力は危機的状況になっている、と指摘しています。対策については特に学術的な知見に基づいたものではないものの新井さんの考える方法がいくつかでていて、その中に読み聞かせも登場します。

ただ、では家に本がたくさんありさえすればいいのか、あるいは読み聞かせが絶対なのかというと、そうとは限らないと私は思います。ここから書くことは単に我が家での様子を観察と実践による個人的な経験談ですが、本に対して関心を持つかどうか、また関心の持ち方は子どもによって全く異なると思います。

 
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