「占いを知らなかったら、わたしは脚本家になっていなかったと思います」――。そう語るのは、超人気脚本家の中園ミホさん。自身の著書、『占いで強運をつかむ』での告白です。

『ハケンの品格』『Doctor-X 外科医・大門未知子』『花子とアン』『西郷どん』など、数多くのヒット作を生み出した脚本家として有名な中園ミホさんですが、本書で見せるのは、なんと「占い師」としての顔! ピンチを乗り越え、仕事で大きな成功を掴むことができたのも「全部占いのおかげ」と断言する稀代の名脚本家は、どのように占いと共に歩んできたのでしょうか。気になるその半生を、特別に一部抜粋してご紹介します!

 

中園ミホさん:1959年東京生まれ。脚本家。日本大学芸術学部卒業後、広告代理店勤務、コピーライター、占い師を経て、TVドラマ『ニュータウン仮分署』で脚本家デビュー。2007年『ハケンの品格』で放送文化基金賞と橋田賞を受賞。2013年には『はつ恋』『Doctor-X外科医・大門未知子』で向田邦子賞と橋田賞をダブル受賞。2014年にNHK連続テレビ小説『花子とアン』がヒットし、2018年には大河ドラマ『西郷どん』(林真理子原作)の脚本も手がける。

 

あなたは占いを信じますか?
「スピリチュアル? 運命を知るのはちょっと怖くて」
「わたしは生まれつき運が悪いから」
「占い? オレは“持ってる男”だから、いらない」

占いにまつわるイメージはそれぞれでしょうが、占いの世界をそっとのぞいてみてください。というのも、わたしがこうして脚本家の仕事がつづけられるのは、じつは占いのおかげ。これまでの人生の、あらゆるシーンで、占いを信じ、占いに教えられるままに、行動してきたからです。

わたしと占いについて、くわしくお話ししましょう。
28歳で脚本家デビューしましたが、それまでは、じつは占い師をやっていました。師事したのは、占いの大家、今村宇太子先生です。わたしが19歳のときに他界した母が、今村先生とは親しい友だちでした。よくわが家にも遊びにいらしていましたが、あるとき先生が緑色の手帖をご覧になりながら、わたしのことを占ってくださいました。

それが誰も知らないはずのわたしの心のうちまで、ずばり言われたのです。まだ中学生だったわたしは、感激してすぐに占いを教えてほしいとお願いしました。

「まだ幼すぎる」と断られたのですが、好奇心が膨らみ、先生が席を外したすきに、こっそりと手帖をのぞいていたら、
「そんなに知りたいなら教えてあげます」
と、占いの手ほどきをうけることになり、そこから必死で勉強しました。

わたしが今、占いをするときに使うのは、中学生のころに先生の手帖から書き写したノートです。

高校、大学と進学して、ちいさな広告代理店でOLをしていましたが、自分のふがいなさにあきれて、1年3か月で自主退職しました。そのあと、物書きを目指したものの、なかなかものにならず、24歳のときから、週3日ほど今村先生のアシスタントをしていました。お茶を淹れたり、占いのデータを調べたりするうちに、お金をいただいてお客さんを占うようになりました。