ベストセラー『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』の著者として知られる岸見一郎先生に、「コロナ禍をどう受け止めるか?」をインタビュー。「変わろうとしない人・社会との付き合い方」、「今こそ変わる幸福の価値観」について伺ってきました。今回は「コロナ時代に見つめ直す家族関係」についてです。

 

岸見一郎
1956年、京都生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。著書は『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(古賀史健と共著、ダイヤモンド社)、『哲学人生問答17歳の特別教室』『人生は苦である、でも死んではいけない』『今ここを生きる勇気』など多数。公式ツイッター:@kishimi  公式インスタグラム:@kishimi

 


家族だから一緒に何かをしなければいけないわけではない


――今回のコロナ禍ではステイホーム期間があったり、外出を控えたり、家で過ごす時間が増えています。そのため家族がずっと一緒にいることでストレスを抱えたり、DVが増えているという話も聞きます。家族関係においてはどうすればよいのでしょう?

岸見一郎先生(以下岸見):一緒にいるから何かをしなければならない、と思わないことです。それぞれがそれぞれの考えに従って、別にやりたいことをやればいいわけです。家族が一同に会すると一緒に何かをしなければならない、こう言い始めるとすごくストレスになってくるのです。

それは今に限ったことではありません。休みの日は家族でどこかに出かける。それはもちろん素敵なことだと思いますが、半ば義務化してしまっているところがありませんでしたか?
たとえば妻が夫に「あなたはいつも仕事ばかりで家族に関心がない。休みの日ぐらいどこか連れて行ってちょうだい」と言うことは、よくあります。それが日常化、恒常化してしまうと、働く人がただ家にいる、ということが許されなくなってしまいます。
そうなると、たちまち夫の居場所がなくなるだろうな、と思うのです。
何もせずゴロゴロしている、それでもいいと思えるような関係を築くことが先決ではないでしょうか。

――ゴロゴロするのがダメというのも、コロナ以前のお金や地位といった成功を求めていた時代の価値観ですよね。


「今日は家族の存在が遠く感じる」という日があってもいい


岸見:前から薄々分かっていたけれども、今回のことをきっかけに「私たち家族や夫婦、親子の距離はあまり近くない」とはっきり気づいた人が多いかもしれません。

しかし、そもそも家族やパートナーとは、常に近く感じていなければならないものでしょうか?
私は、長年連れ添ったパートナーでも、ある瞬間には遠く感じることがあってもいいと思うのです。そして、ある瞬間には近く感じることがあってもいい。
付き合い始めたばかりのパートナーだって、絶えず近くに感じられるはずはありません。同様に、結婚し物理的に一緒にいるからといって近く感じられるわけでもありません。

だから、近くに感じることも遠くに感じることもあっていい、というふうに考えれば随分と楽になると思います。

――とはいえ冷え切った関係だと、やはり一緒にいて気づまりです。そもそも「近い」というのはどういう状態を指すのでしょう?

岸見:たとえばコミュニケーションを盛んにするとか、気が合うなと感じて話が盛り上がるとか、いつも一緒に過ごしているとか、必ずしもそういうことを言っているわけではありません。
ただ話をしているだけですごく楽しいとか、話をしていなくてもこの人と一緒にいれば自分を良く見せようと思わなくて居心地がいいとか、そう思える瞬間に人は「近い」と感じる。
……つまり、物理的な距離感で「近い」「遠い」と感じるのではなく、広い意味でコミュニケーションが上手くいっているかいっていないかで「近い」「遠い」と感じるわけなのです。

コミュニケーションが上手くいっている家族は、絶えず会話をしているわけではないし、絶えず相手のことを意識しているわけでもありません。「別に今日は遠いと感じる日があってもいい」とさえ思っている。そう居られると、同じ空間に生きていてもそんなに気づまりではないでしょう。

――多くの人は、家族だからといって心理的にも物理的にも近い状態を求め過ぎなのですね。

岸見:たまに一緒に出掛けるぐらいがちょうどいいのですよ。
今、ある夫婦を思い出しました。高齢になって結婚した夫婦なのですが、彼らはあるときたまたま出会い、話をしたら随分気が合うということで、結婚をされたんです。そして一緒に暮らし始めたのですが、食事の時間も共にしていないのです。
それぞれの部屋を持っていて、たまたま部屋から出てきたときにダイニングで居合わせたら、一緒に食事をする。そして「今日はいい天気だから散歩でもしようか」という話になれば、散歩をするときもある。でも「そんな気になれない」ということだったら、わざわざ二人で出かけることもしない。
限りなく同居人と言いますか、下宿人同士に近いような暮らしをして、それで結婚してから早20年が経つそうです。

人生の醍醐味というか、そういう人と出会えてそのように一緒に過ごせるということは、短い期間であっても幸せですよね。我々は今、そのような価値観の大きな変化を迫られている気がします。
 

価値観を変えざるを得なくなった今、家族との話し合いが不可欠

 

――新しい夫婦のあり方の一つですね。一緒にいる時間が増えて、言い争いの絶えない家庭はどうしたらよいでしょうか?

岸見:常に一緒にいることが理由で、ケンカになるわけではないのです。そのあたりは、原因が他にあるならきちんと話し合われたほうがいいと思いますし、もうちょっとお互い自由になってもいいのではないかと思います。

――勝手に「一緒にいると邪魔だ」と決めつけていたり、反対に「邪魔だと思われている」と思い込んでいるところはあるかもしれませんね。

岸見:相手が在宅勤務になったのであれば、これまでの通勤時間が、ある程度融通がきくようになったわけですよね。そうすると、混雑していない平日の昼間に一緒に出かけられるかもしれない。そういう喜びを共有することがあれば、一緒にいるのも悪くないなと思われるかもしれません。

これは子を持つ親にも当てはまることです。
私は不登校の子どもを持つ親御さんのカウンセリングをすることがよくありましたが、多くの親は「学校には行かなければならない」と思っているものです。
しかし自粛期間中は、全員が不登校児状態でした。これまで不登校児を他人事として見ていた親は、それが他人事じゃなくなってひどく不安になったことでしょう。我が子が家でゴロゴロしていたわけですから。でも不登校児を持つ親は、また違った心持ちでいたと思います。
そのように、何事も違う考え方、受け止め方もできるわけです。

世間的に見ますと、今、我々は全て病者です。そういう意味でも、価値観を変えていかざるを得ない。
ですからこのような状況の中では、一度家族でいろいろなことをきちんと話し合っていくことが必要だと思うのです。
 

次回は「コロナ時代に私たちが取るべき行動」についてお届けします。
 

撮影/目黒智子
取材・文/山本奈緒子
構成/片岡千晶

 

第1回「コロナ禍でも変わらない人・職場との付き合い方」>>

第2回「コロナ時代に変わる幸福観「成功を諦めれば幸せに」」>>

第4回「コロナを経た新しい時代で生きていくために大切なたった一つのこととは?」7月31日公開予定