ところが日本では、自己破産するのは「恥ずべきこと」であるとの風潮が根強く、その事実が知れると周囲からバッシングされるのが現実です。逆に言えば、個人的にお金を貸しているわけでもないのに、誰が破産したのかを知りたい、バッシングしたいと考える人が大勢存在しているからこそ、興味本位の閲覧サイトがビジネスになっていました。

 

例えば米国では、自己破産に関する情報はもちろんのこと、誰が住宅ローンをいくら借りているのか、犯罪歴があるのか、家族構成はどうなっているのかといった情報まで誰でも簡単に入手できてしまいます。しかし、こうした情報を使って個人をバッシングしたり、地域で村八分にするといった話は聞いたことがありません。

 

個人情報でトラブルが発生していないのは、自分が直接関係しなければ、他人がお金を借りていようが、自己破産しようがどうでもよいと思っている人が多いことが理由と考えられます。国よって文化は異なるとはいえ、こうした個人主義的な感覚について日本人はもっと積極的に取り入れるべきだと筆者は考えます。

自分には無関係なのに、借金があるからといって他人をバッシングしたところで、何も生まれてきません。そのようなことに時間を費やすのではなく、もっと生産的なことに大事な時間を振り向けた方が、個人としても社会としてもはるかに有益でしょう。興味本位で他人の情報を欲しがる人が少なくなれば、こうしたサイトは収益を生み出せませんから存続が難しくなります。結果的に公開情報の利用制限に懸念が出る形で法律を運用する必要もなくなるわけです。

日本では息苦しい社会風潮が原因で、行政が過度に民間に介入する必要に迫られ、それが社会をさらに窮屈にするという悪循環がよく見られますが、今回の出来事はまさにその典型といってよいでしょう。

筆者の見解に対しては、お金を貸した人に迷惑をかけているので、厳しく対処する必要がある、といった意見もあると思います。破産によって債権者に迷惑をかけるという面があるのは確かですが、お金というのはとても大事なものですから、本来、他人に対して安易に貸すべきものではありません。

銀行や消費者ローンなどの貸金業は、あくまでビジネスとしてお金を貸しており、すべて法律に則った業務です。一定数の債務者が破産することも最初から織り込んでいますから、破産によって迷惑をかけたという話にはなりません。こうした割り切りができるようになれば、日本社会はもっとおおらかになりますし、経済にもよい影響を与えるのではないでしょうか。

前回記事「優生思想と経済のイヤな関係。日本は負の歴史を繰り返してしまうのか」はこちら>>

 
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