9月15日は、ハリー王子(正式名:サセックス公爵ハリー王子)の、36歳のお誕生日でした。

次期国王チャールズ皇太子とダイアナ元妃の次男として、1984年9月15日、ロンドンのセント・メアリー病院で誕生。
王位継承順位は第6位。これは、今年王室の上級メンバーから離脱された今も変わりません。

そんな世界を驚かせた離脱騒動が、まだ今年初めのことだったとは思えないほど、ジェットコースター並みに状況が変わり、今や拠点は米国。
つい最近だけでも、サンタバーバラにご自宅を購入、Netflixとの150億とも見られる契約。それにより、英国でのご自宅であるフロッグモア・コテージの、税金投入がなされていた改装費を一気に完済と、とにかく話題が尽きないサセックス公爵家です。

英国を離れても、批判が絶えぬとも、それでも常に注目され話題となり続けるのは、英国プリンス=英国の子供、だからでしょう。

誕生以来ずっと、国民がハラハラしながら見守り続けてきた、ハリー王子の波乱に満ちた35年間の人生を振り返ってみました。
ダイアナ元妃に似て、気さくで人懐っこく、老若男女に愛されるハリー王子の魅力の理由がわかるでしょう。

 

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将来、立場の異なる兄弟を案じ、思い切り甘えさせた母ダイアナ元妃

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1987年9月に撮影。写真:AP/アフロ

1987年、3歳になったばかりのハリー王子です。
スペイン、マヨルカ島で、母ダイアナ元妃に抱かれている王子の安心した表情が印象的です。

将来国王となる長男ウィリアム王子とは、兄弟ながらも異なる人生が待っていることを既に懸念し、次男ハリー王子へできる限りの愛情を注いだと言われるダイアナ元妃。そんな想いが感じられる、温かい1枚です。

愛しい我が子に頬を寄せられる元妃と、絶対的な安心感に包まれた表情の王子、まさかこんな日々が長くは続かないなんて、誰が予想だにしたでしょう。

世界中が追悼&注目する中、母の棺の後ろを歩いたトラウマ

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写真:ロイター/アフロ

1997年9月6日。世界中が悲しみにくれた、“イングランドのバラ”と慕われたダイアナ元妃の葬儀。この時ウィリアム王子が15歳で、ハリー王子はまだ13歳のお誕生日直前という幼き年齢でした。

王室メンバーではなくなった元妃としては異例の、ウェストミンスター寺院での葬儀に向かう際、世界中が見つめる中、エディンバラ公、チャールズ皇太子、スペンサー伯爵とともに、亡き母の棺の後ろを歩かねばならなかったウィリアム王子とハリー王子兄弟。
この経験がトラウマとなり、特にハリー王子ののちの人生にまでメンタルヘルスに大きな傷を残してしまったようです。

辛さに耐えきれず泣きたくても泣けない、ひときわ小さなハリー王子の壊れそうな表情が、何度拝見しても胸が締め付けられるシーンです。
英国国民が、どんな時でも常にハリー王子を温かく見守っているのは、きっとこの時の姿が目に焼きついているからでしょう。


英国王室のお騒がせプリンス。ガラスのメンタルだったハリー王子

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2004年3月に撮影。写真:ロイター/アフロ

両親の別居に離婚、ついには愛する母を亡くし……その後のハリー王子の行動は不安定そのもの。
ガラスのように繊細なメンタルは、実際のところ数年前まで続いていたそうですが、十代の王子といえば、酒にタバコ、ドラッグに、乱痴気騒ぎと、とにかくゴシップに事欠かない行動ばかり。王室のトラブルメーカーとも言われていた王子でした。

かの英国紳士のエリート校、イートン校をなんとか卒業されたあとは、大学には行かず海外でボランティア活動をされていました。
なかでも、母を亡くした直後、心を癒してくれたアフリカは今でも第二の故郷とお感じになっています。この画像は19歳の王子。レソト王国に8週間滞在されてのボランティア。現地の子供達と一緒にフルーツの木を植えられているところです。
大自然とその中で生きる動物、そして子供達こそが、何よりも王子にとっての癒しであり、自分らしくいられる存在なのです。

そんな思い入れのある国のため、そして亡き母の想いを受け継ぐかのごとく、この2年後(2006年)、ハリー王子は、ここレソト王室のセーイソ王子と共に、慈善団体を立ち上げられ、レソト王国のエイズ撲滅のために現在も熱心な支援をされています。

ただの”ハリー”でいられた軍隊時代

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2012年11月に撮影。写真:Press Association/アフロ

海外でのボランティア活動の後、2005年(21歳)にはサンドハースト王立陸軍士官学校に入学。そして2006年の卒業後は、英国の陸軍に入隊。

2015年に除隊されるまでの間には、英国ロイヤルメンバーで初、アフガニスタンでの戦闘に加わった経験をもちます。のちに軍隊でのことを振り返って「前線で戦っている時、生きているという実感をもてた」、また「軍では“プリンス”ではなく、ただの1人の”ハリー“でいられた」と語られていました。

生まれながらのプリンスだからこその葛藤や、次男がゆえの将来に対して迷走されている様子が伺えますね。

自分の得意を生かし、自分の使命をカタチに。リーダーとして輝き出した瞬間。

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写真:AP/アフロ

長男ウィリアム王子には、重責ながらも確固たる道が生まれた時から決められています。ですが、次男ハリー王子は自由な選択がある一方で、終始注目される状況といった、両立がなかなか困難なバランスのもと、自分の道を模索しなければなりません。

自分らしくいられた軍隊を除隊をされ、ついに我が道を歩む時。その決意が出来たのも、このイベントの立ち上げと成功があったからでしょう。

英国の負傷軍人たちのパラリンピック「インヴィクタス ゲーム」。
2014年9月にロンドンで初回を迎えたこのビッグイベントには、ロイヤルファミリーも駆けつけ応援&サポートに。
英連邦、元軍人たち、スポーツといった、王子が関心のあるジャンルに加え、お得意のリーダーシップを生かせたものが、まさにこのスポーツイベントでした。

これをきっかけに公務にも幅広く従事。王子の顔からは自信とやりがいが感じられ、世界中の老若男女、果ては動物に至るまで大人気。“世界一モテる独身プリンス”となったのです。

 
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