ところが近年、こうした価値観は大きく変わりつつあります。昨年、萩生田文部科学相が大学入学共通テストにおける民間英語試験に関して、(所得が低い家庭の子どもが不利になるという指摘に対して)「身の丈に合わせて勝負を」と発言したことが問題視されました。2018年には麻生財務相が、国立大学出身の市長に対して「人の税金を使って学校へ行った」と発言したこともあります。

教育格差は「仕方ない」という人が高所得層ほど多いワケ_img0
菅内閣でも再任、9月の新内閣発足時に会見する萩生田光一文部科学相。 写真:AP/アフロ

一連の批判は、言葉尻を捉えたものに過ぎないとの指摘もありますが、少なくとも両氏が、教育の機会平等についてそれほど重視していないのは明らかです。

 

政治家というのは国民の意見を反映する存在ですが、過去15年間で、格差を是認する国民の比率が高まっており、特に2013年以降、その比率が高まっているという現実を考えると、一連の発言もうなずける話です。

教育に対する価値観は人それぞれですが、社会的、経済的に成功した人が、機会の平等を望まないというのは、経済成長という観点からするとかなり由々しき事態といってよいでしょう。

冒頭にも述べましたが、努力して成功を勝ち取った人というのは、これからチャレンジする人を支援したいと考えるのが一般的です。それにもかかわらず、教育の格差を肯定する人が増えているという現実は、日本全体の豊かさと密接に関係している可能性があります。

調査では、格差を当然視する人が2010年代から急増しているわけですが、OECDの調査によると日本人の平均賃金は2004年では35カ国中19位でしたが、2008年には21位と順位を落とし、2018年には24位にまで下落しました。これは購買力平価のドルベースで計算したものなので、為替や物価をすべて考慮した数字です。つまり日本はここ10年で急激に貧しくなっており、それと同じタイミングで、格差を肯定する人が増えていることになります。

相対的に豊かであっても、国全体が貧しくなれば、相対的に豊かになった人でも不安心理が大きくなります。結果的に自分が得たものは何としても他人に渡したくないという心理が働き、これが格差についての価値観にも反映された可能性が否定できません。

日本全体として経済のパイを拡大させるのではなく、パイの奪い合いに血道を上げているという話ですから、当然のことながら、これは健全な経済成長を阻害します。国全体として諸外国並みの成長を実現することは、経済的にはもちろんのこと、社会的にも大きな意味があるのです。
 

前回記事「相次ぐ飛行機マスク着用トラブルから見る、日本の悪しき「お願い文化」」はこちら>>

 
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