「世界一危険な道」での救助活動
シリア内戦下で、通りに置き去りにされた猫たちを救助し、「アレッポのキャットマン」として知られるようになった男性をご存じでしょうか?
彼の名はアラー・アルジャリール。もとはシリア第二の都市アレッポの街で電気技師として働く普通の市民でしたが、内戦で傷つく人々を助けたいと、自らミニバンを運転し救急活動をはじめました。
アレッポは、世界遺産の歴史的な景観と、名産「アレッポの石鹸」で知られる美しい街でした。しかし今は、長引く内戦で壊滅状態となっています。
アラーさんが救急活動をしていたカステロ・ロードは、政権軍が支配する西アレッポと、反体制派が支配する東アレッポをつなぐ唯一のルート。そこは、メディアから「世界一危険な道」と呼ばれるほどの場所です。
そんな戦闘の最前線で人を助けるだけでなく、猫の保護活動もしているというのは、いったいどんな理由からなのでしょう。
「人への情けを持つ者は、生あるすべてのものに情けを持つ」
これは、アラーさん自身の言葉です。アラーさんは、消防士だった父にあこがれ、いつかは人を救う仕事に就きたいと願っていました。そして、幼いころから動物好きだったことも、彼が猫の保護活動を始めた理由の一つでしょう。
また、イスラム教には、動物たちを思いやり、食べ物をやったり世話をしたりするように、という戒律が六つもあるのだそうです。
アラーさんは救命活動のためあちこちで救急車を走らせているうちに、通りをさまようたくさんの猫を見かけるようになりました。
多くは飼い主が戦闘を逃れて避難したために取り残された猫です。猫好きの彼は見て見ぬふりをすることができず、えさやりをしたり、傷ついた猫を保護したりするようになります。
その姿がアレッポで取材中だったジャーナリストたちの目にとまり、アラーさんは「アレッポのキャットマン」としてメディアに取り上げられるようになったのです。
『シリアで猫を救う』
戦闘が激しくなり大勢の人たちが避難していくなか、アラーさんは人や動物を助けるためにアレッポにとどまります。そして、Facebookでつながった人々からのサポートをうけ、猫の保護施設「エルネストズ・サンクチュアリ・フォー・キャッツ」をつくりました。
しかし、アラーさんが暮らす東アレッポは激しい攻撃を受け、2016年12月に陥落。とうとうアレッポを離れることになったアラーさんですが、それでも国外に逃れることなく、アレッポの隣、イドリブ県付近に移動し、いまも傷ついた動物たちの保護を続けています。
アラーさんのこれまでの活動は、書籍『シリアで猫を救う』で詳しく知ることができます。イギリス人作家ダイアナ・ダーク氏が、シリア難民の友人たちの助けを借り、アラーさん本人から聴きとりをしてまとめた回顧録です。
翻訳は、『さよならエルマおばあさん』『はたらく地雷探知犬』などのノンフィクション作品で知られるジャーナリスト、大塚敦子氏。
大塚氏がこの本の原著『The Last Sanctuary in Aleppo』のことを知ったのは2019年の夏ごろのこと。これまで、シリア内戦下での人びとの苦難については秀逸なルポルタージュが何冊も出ているものの、動物たちのことに言及したものは1冊もなかったことから、「どうしても翻訳して日本の読者に届けたい」と強く思ったのだそうです。
「自分たちが始めたわけではない戦争に巻き込まれ、日々爆撃の恐怖にさらされながらもそこで生きるしかない普通の人びとの苦闘がアラー自身の言葉で克明に語られています。」
コロナで激増した保護猫たち
新型コロナウイルスの脅威は、場所を選んではくれません。2020年7月、サンクチュアリのある街でも感染者が確認され、スタッフはロックダウンに備えての備蓄や、感染対策に追われました。
シリアは深刻な経済危機に直面し物価がはねあがっているため、物資の調達は大きな負担です。そのうえ、内戦で医療施設が破壊された地域で感染がひろがってしまったら、いったいどうなってしまうのでしょう。
さらに彼らを悩ませているのは、新型コロナウイルスがネコから人にうつると思い込んだ人たちがネコを棄て始めたこと。サンクチュアリで保護する猫の数は急激に膨れ上がり、なんと1000匹にも達したそうです。
しかし、アラーさんたちは挫けていません。助けを必要とする動物たちがいる限り、サンクチュアリの活動は続くでしょう。
内戦とコロナウイルスという二重の困難に彼らがどう立ち向かっていくのか、今後も目が離せません。
『シリアで猫を救う』
アラー・アルジャリール
with ダイアナ・ダーク:著
大塚敦子:訳
自らの危険もかえりみず、人間やどうぶつたちの命を必死に守るアラーさんの活動をつうじて、シリア内戦の悲惨な現実、戦争の愚かさを訴えかけるノンフィクション
この記事は現代ビジネス「内戦とコロナ「アレッポのキャットマン」がシリアで猫を救う苦難」をもとに構成しました
構成/北澤智子
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