お家騒動がドロ沼化していた2015年当時の大塚久美子社長。 写真:Rodrigo Reyes Marin/アフロ

大塚家具の大塚久美子社長が辞任します。経営権をめぐる父親との激しい争いの末、結局は親子共々、家業を手放すことになりましたが、久美子氏は何に負けたのでしょうか。

 

同社は、創業者である大塚勝久氏がゼロから一代で築き上げました。会員制をベースに、顧客につきっきりで接客する独特の販売手法で業績を伸ばし、2006年には売上高が700億円を突破するまでに成長しました。しかし、この頃を境に従来の販売方法が徐々に時代の流れに合わなくなってきます。

2009年に同社が赤字転落したことをきっかけに勝久氏は引責辞任し、娘の久美子氏が社長に就任したのですが、ここからが予想外の展開となります。久美子氏は、家具市場に台頭していたイケアやニトリの製品を意識し、顧客の間口を広げる新しい販売戦略を打ち出しました。ところが、この販売戦略に引退した勝久氏が大反対したのです。

勝久氏は会社のトップから退きましたが、大量の株式を持つ大株主ですから、経営陣の選出に大きな影響力を行使できます。2014年に勝久氏が久美子氏に辞任を迫り、自身がトップに返り咲いたものの、その半年後には再び久美子氏が勝久氏を辞任に追い込むという親子バトルが勃発。両者の争いは泥沼化しました。

久美子氏は大学卒業後、銀行でキャリアを積み、その後、大塚家具に入社。経営企画や経理など多くの部署を経験したのち、一旦は同社を退社し、コンサルタントとして活躍していました。資本市場の仕組みや機関投資家の事情に明るかったことから、多くの投資家を味方につけることに成功し、久美子氏は、2015年の株式総会で同社の経営権を完全掌握しました。

久美子氏は、会員制を事実上撤廃するとともに、「お詫びセール」を展開して、自らの新しい戦略を推し進め、2015年12月期には黒字転換を果たしました。ところが、再び業績は下降に転じ、最終的には2019年にヤマダ電機(現ヤマダホールディングス)の出資を受け入れる形で同社の傘下に入りました。

ヤマダの傘下に入っても、久美子氏は引き続き社長の座にとどまりましたが、今年12月1日付けで久美子氏が社長を辞任するという発表が行われました。理由は、来期の黒字化に向けた道筋が整ったことで、過去の業績の責任を取るというものでした。久美子氏は社長のみならず取締役も辞任しますから、完全に会社の経営から手を引くことになります。今後はアドバイザーとして同社に関与するという報道もありますが、経営から退くことは間違いありません。

一方、父親の勝久氏は、すでに新会社「匠大塚」を立ち上げており、大塚家具とは関係を絶っています。今回の久美子氏の辞任によって、大塚家としては、家業の大塚家具を完全に手放すことになったわけです。

 
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