11月4日、国会衆議院予算委員会での菅首相。 写真:つのだよしお/アフロ

政権が発足して早々、菅内閣が日本学術会議の問題で揺れています。事の発端は、学術会議の会員候補の任命に際して首相が6名を拒否し、その理由を明かさなかったことでした。ところが、なぜ理由を示さないのか追求されると、菅氏は「学術会議は閉鎖的で既得権益のようになっている」という趣旨の発言を繰り返すようになりました。

 

世の中の議論を見ていると、任命を拒否することの是非という話と、学術会議のあり方に問題があるという話が渾然一体となっているようです。
日本人は諸外国の人と比べて論理的な議論が苦手といわれており、問題を切り分けることが得意ではありません。こうした問題に適切に向き合うためには、一旦、感情は横に置いておき、論点を整理した上で議論することが重要です。

菅氏は、現時点でも、なぜ6名を拒否したのか理由を示していませんが、既得権益が云々というのは、後付けで考えた理屈であることはほぼ明らかでしょう。一部の論者が指摘しているように、安保法制に反対したことが理由なのかはともかくとして、何らかの意図があって6名を拒否したものの、予想外の反響となり、学術会議に問題があるという話にすり替えざるを得なかったものと思われます。

また一部から指摘されているように、菅氏は、この案件について完璧に把握していなかった可能性もあります。

首相は政権のトップですから、公式、非公式含めて多くの権力を行使できます。しかしながら、学術の分野に踏み込んでしまうと、憲法における学問の自由という問題に抵触する可能性がありますから、就任早々、この領域に手を突っ込むことは、(あくまで権力闘争における損得勘定という視点においてですが)あまり得策ではありません。

政治的な駆け引きを得意とする菅氏が、このデメリットを理解していなかったはずはなく、完璧に状況を把握していなかったという話にも少しうなずける部分があります。いずれにせよ、最終的な責任は首相にありますから、菅氏としては論点をすり替え、追求をかわそうとしているわけです。

筆者は、政治家が論点のすり替えを行うことは良くないことだと思いますが、政治というのは綺麗事だけで済ませられるものではありません。難局を切り抜けるために、あえてこうしたアンフェアな手段に出る政治家もたくさんいます。

最大の問題は、この話を受け止める国民の意識でしょう。

 
  • 1
  • 2