「ほんと?それは……なんか、嬉しい」
酔っているせいで思わず本音が漏れてしまった。
ああ、顔が熱い。気を抜くと閉じそうな瞼を必死に開けて隼人を見ると、彼は垂れ気味の目を三日月みたいにして笑っていた。
――そんな可愛い顔でこっち見ないで……。
年甲斐もなくキュンとした自分に、ため息を吐いたところまでの記憶は微かにある。
しかし……次にハッキリと現実を認識した時、早希はあろうことか自宅のベッドに横たわっていた。
――ちょ、ちょっと待って。えーっと……。
焦って起き上がるも、瞬時に状況が掴めず闇の中で必死に目を凝らす。
すると寝室のすぐ横、見慣れたリビングのソファに、いるはずのない若い男の姿が見えた。思わず声を上げそうになり慌てて口元を抑える。
――わ、私……北山くんと……どうしたんだっけ!?
早希は混乱する頭を抱え込み、必死で記憶を呼び起こした。
40歳の女は「対象外」ですか?
『家ここで合ってます?』
『鍵はバッグの中?僕、探しますね』
夢か現か……力いっぱい瞑った瞼の裏に、隼人に支えられながらフラフラ夜道を歩く自分の姿が蘇った。
そうだ。完全に酔っぱらった私を彼が家まで送ってくれて……ええっと、それで……。
冷や汗をかきながら、再び隼人に視線を向ける。彼はソファでブランケットにくるまっており、その下に黒いTシャツを着ているのが確認できた。
念のため、自分の姿も確認する。大丈夫。ワインバーにいた時と同じ、ユニクロのニットにデニムのままだ。
……セーフ。どうやら最悪の事態は免れたらしい。いや、仕事仲間の前で、しかも10歳も下の男の前でこんな失態を犯すなどまったく笑えない状況ではあるのだが。
しかし胸を撫で下ろしたのも束の間、相反して虚しい感情が襲ってきた。
――この状況で、何もなかったんだ。
何もなくてよかった。よかったのに、なぜか心が寒くなる。
これが10年前だったら?私がアラサーだったらどうだっただろう?同じ屋根の下で男女が一晩を過ごして、何も起きないなんてあり得た?
――おばさんは対象外、か。
そりゃあそうだ、と早希はひとり失笑する。
隼人はまだ若いしイケメンだ。さらには業界で名の知れた若手カメラマンでもある。わざわざ40歳の年増に手を出す必要などない。どんなに美白しても消えないシミや毎週末ジムに通っても落ちない贅肉を蓄えたおばさんなんかに用はないのだ。
彼の周りには、若くて可愛い女の子がうじゃうじゃいるのだから。
『お願いできるならぜひ』なんて言っていたが、そんなのはただの戯言。早希も別に、真に受けたわけじゃない。わかっていたけど……。
カーテンが開いたままになっていて、外が徐々に白み始めてきたのがわかった。
――シャワー、浴びよう。
隼人が目を覚ます前に、せめて身嗜みと心を整えたいと思った。そしてできる限り爽やかに、さっぱりと彼を見送る。そうするしかない。
早希は足音を立てぬよう静かにベッドを抜け出した。しかし隼人の横を通り過ぎるとき、どうしても我慢できず一瞬だけ立ち止まってしまった。
息をも殺し、そっと彼を見下ろす。隼人は無防備に眠っていた。深酒した後とはとても思えない、綺麗な顔で。
柔らかそうな頬。潤った唇。Tシャツから覗く、意外にも逞しい腕……。
つい目を奪われてしまった自分がなんだかとても汚らわしい女に思え、早希は急いでバスルームへと向かった。
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