〔ミモレ編集室〕のKazoo_かずです。

日本ではあまり知られてませんが、アメリカでは女性コメディアンが数多く活躍し、女達にカリスマ的な影響を与えています。彼女達はユーモアを通して堂々と意見を主張し、女の新しい生き方を開拓してます。

 

ご紹介したい1人目は、1990年代にコメディ映画「天使にラブ・ソングを」で一斉を風靡した、ウーピー・ゴールドバーグ。60代になられた今も、複数世代の女性キャスト(30代−70代)が政治からエンタメまでを議論する、人気トークショー「ザ・ビュー」でご活躍中。その歯に衣を着せないシャープな発言が毎日注目される、カッコイイ人です。

ウーピーは女性にまつわるイメージを変えた先駆者。どんな風に影響を与えたのでしょう?


スターへの階段は、ドロップアウトにシングルマザー


ウーピーは大スターでも稀な、エミー、グラミー、オスカー、トニー賞の、全てを獲得した(TV、録音、映画、舞台の全て)数少ないお一人。男性社会のコメディ界でこの快挙を成し遂げた彼女は、女性セレブの尊敬の的。あのレディー・ガガは、NYのホテルのロビーに飾ってあったウーピーの写真を、好きすぎて「盗んでしまった」と告白してます。

そんな逸話の多いウーピーの素顔は、シングルマザーでバツ3 。現在は64才で、ひ孫さんもいてお幸せそうですが、始まりは厳しいものでした。

ニューヨークの貧民街で育った彼女は、演劇が大好きで女優を夢みます。でも発達障害があり、周りの子供達とは違う扱いを受けます。14才でハイスクールをドロップアウト。ドラッグに溺れ、助けてくれた男性との間に子供を授かり、出産。そして21才で離婚。そこからスターダムに這い上がったバイタリティは、多くの女性に希望を与えたことでしょう。


コメディを始めた理由は、黒人に対する差別から


現在、世界中で起きている、Black Lives Matterムーブメントで再認識されましたが、アメリカは黒人への差別が激しい国。

ウーピーが俳優を目指した70年代は、黒人女優はメイド等の使用人か、ガサツで知性のない役にほぼ限られ、それ以外はあまり演じられない時代。劇場オーナー達からも、白人の観客に受け入れられないという理由で雇って貰えません。今では社会問題に発展する差別を受け否定され続けます。

でもウーピーは切り開く人。自分で脚本を書いて演じられる、コメディを始めます。スプーク・ショーというワン・ウーマン・ショー(1人語り&芝居)を作り、黒人女性のステレオタイプ意外のキャラクターを、15種類以上演じてみせます。インテリなジャンキー、白人になりたい黒人の少女、自分で中絶をするサーファーガール等の、リアルでショッキングなキャラクターは、観客には新しく熱狂的なカルトファンがつきます。

ショーはブロードウェイで上演され、スティーブン・スピルバーグの目に止まり、30才でハリウッド映画の主役に大抜擢されます。まるでマジック。ウーピーは社会が作った黒人女性のイメージを、大きく打ち破りました。


新しいロールモデルは、知的で面白い女


アメリカの伝統的なコメディ女優は、マリリン・モンローのような、ちょっと抜けてるセクシー系ですが、ウーピーは80年代のフェミニズムの波に乗り、タフで知的で面白い、中性的な女性を演じます。例えば、破天荒でロックな修道女、インチキだけど頼れる祈祷師、男子プロバスケの女監督など、自立した女のイメージを築きます。

また初主演映画のカラー・パープルでは、男性に虐げられる自尊心の低い女性が、自由を手に入れるまでを演じます。この女性は男性と婚姻関係にありますが、実はゲイ。ウーピーは後に、ゲイのHIV感染者も演じますが、当時のアメリカ映画ではレズビアン役は珍しく、女性のパブリックイメージを広げたといえます。女は男のセックスの対象だけにしか描かれず、うんざりしていた女性達の、新しいロールーモデルとなったのです。


そしてまた一つ、不思議なマジックが起こります。

 
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