大倉孝二
1974年7月18日生まれ。東京都出身。1995年、ナイロン100℃に入団。役者として活動を開始する。2002年、映画『ピンポン』で脚光を浴びる。近年の主な出演作にドラマ『伝説のお母さん』、ドラマ『MIU404』、ドラマ『妖怪シェアハウス』、映画『ロマンスドール』、舞台『美しく青く』、舞台『ドクター・ホフマンのサナトリウム 〜カフカ第4の長編〜』など。
「お芝居をするのに楽しいっていう感覚はないです。大変なだけですよ、稽古なんて。本番も楽しくないです」
そうつぶやくのは、俳優の大倉孝二さん。ドラマに映画に舞台に出演作の途切れない大倉さんだけに、さぞ芝居が好きなんだろうと思って聞いてみたら、意外な答えが返ってきました。
「楽しい瞬間はありますよ。稽古場とかでね、思いもよらず面白いことが起きて、そういうときはさすがに楽しいなと思いますけど。それ以外はまったくもって。毎日嫌だなって思っています」
ドラマでよく聞くあの飄々とした語り口で、お芝居について語りはじめます。決してお芝居をするのが楽しいわけではないという大倉さんがなぜ役者という仕事を続けているのか聞いてみました。
才能があったとは思わない。ただ打たれ強かっただけ
もともと特に役者志望ではなかったと言う大倉さん。何となく演劇学校に通っていた当時20歳の青年を本格的に演劇の世界へ引き込んだのは、1本のお芝居がきっかけでした。1994年に上演されたナイロン100℃の『NEXT MYSTERY』。これが、大倉さんが初めて自分のお金を出して観た舞台でした。
「びっくりしたんですよね、演劇ってこんなに何でもやっていいんだって。(出演者も)ひとりもテレビで見たことないのにめちゃくちゃ面白い。どうやってこれをつくっているのか知りたくて、オーディションを受けたら合格してしまったという。そのオーディションがたまたま役者募集だっただけで。別にスタッフでも何でも良かったんです」
だからこそ、入団してからは苦労をしました。
「本当に使いものにならなくて怒られてばかりでした。どうやって乗り越えたか? なんでしょうね。わりと打たれ強かっただけですよ。怒られてもけろっとしていられたというか。自分に才能があったとは、まったく思っていないです」
けれど、徐々にその存在感と舞台度胸を買われ、頭角を現すように。そして、2002年、映画『ピンポン』のアクマ役で一躍その名を轟かせ、以降、個性派俳優として長く活躍し続けています。
大倉さんにとって役者業は生活のための仕事なのか。あるいは好きなことなのか。そんな二択にも、大倉さんはあくまでマイペースです。
「どっちなんだって決めるのは難しいですね。仕事と割り切っておさめられることでもないですし、かと言って自分のライフワークだとか表現だとかそういうつもりもあまりないですし。関わってしまったんだからしょうがないじゃんっていう気持ちも大きいですしね」
役者・大倉孝二として歩み続けて、気づけば四半世紀。25年もの間、続けられた理由については、こんな答えが。
「これが自分にとってやったらいいことなんじゃないかと思っているから続けている、というのが正直なところですかね。他に何ができるのっていう話もありますし。やっていればそれなりにいいこともあって、そういうものでも補えないぐらいこの仕事が嫌になったら辞めると思いますけど。今は前に進んでいけるだけのことをたくさんもらえているからやっているんだと思います」
ノンストップで身を委ねられるのが演劇の面白さ
そんな大倉さんの最新出演舞台が、2月3日から幕が上がる『マシーン日記』。1996年に大人計画の松尾スズキさんが外部プロデュース公演にて書き下ろした作品です。
「松尾さんの面白さは連打のごとく繰り出される言葉の力。それも意外なぐらいタイムリーな感じのことを言うというか、現在進行形の言葉を台詞に取り込むのがすごくうまいなっていう印象ですね。松尾さんの言葉ってポップだと思うんです。でもそれってちゃんと時代とマッチしていないと、そのポップさが出ない。今回も、1996年に書かれた作品ですけど、きっと2021年らしい作品になるんじゃないでしょうか」
演出を手がけるのは、『モテキ』『共演NG』の大根仁さんです。気鋭のヒットメーカーが、松尾さんの傑作に挑みます。
「大根さんに対しては、ポップカルチャーの継承者というイメージがあります。そんな大根さんがあえてこういうダークな世界観のものを選んで、どういうふうに持っていこうとしているかはまだ僕もつかめていない。稽古を通じて、大根さんがやりたいことを見つけていきたいなと思います」
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