ついに前を向いた女と、忍び寄る影
「ねぇ、私の声聞こえてるかなぁ?大丈夫?」
PC画面の向こうで、美穂がひとりで慌てている。そんな彼女に向かい早希は「聞こえてるよー!」と笑顔で手をふって見せた。
彼女がモラハラ夫から逃げ出して、まもなく2週間が経つ。実家でようやく少し落ち着いたのか、珍しく美穂から「話したい」とグループLINEが届き、皆でZoom飲みをすることになったのだ。本当は会って集まりたかったのだけれど、世の中の状況を考えて早希がオンラインでの開催を提案した。
「Zoomとか私、初めてで」
そんなふうに呟く美穂の表情を、早希はそっと観察する。というのも、家を出てすぐの頃に電話で話したとき、彼女は少しばかり情緒不安定に陥っている様子だったのだ。
「夫も可哀想な人なの」とか「良い父親ではあった」というような発言をして早希を大いに戸惑わせた。あれだけの暴言を吐かれ、暴力まで振るわれたというのに……。
早希としては「それでも離れて正解だよ」と言うしかできず心配していたが、その後モラハラ夫のもとに戻った様子はないし、画面を通して見る限りは落ち着いているし元気そうだ。
「画面に映る自分ってゲンナリする……Zoomって美肌加工できないんだっけ?」
しばらく二人で雑談していると、ブツクサ言いながら絵梨香が画面に現れた。
フリーランスで美容系のPRをしている彼女の美意識は尋常じゃない。画面映りが気にくわないらしく、少しでも綺麗に映る位置を探して動き回っている。
少し前に「セックスレスなの」と告白してきた彼女はまるで別人のようだったが、すでにいつもの調子を取り戻し相変わらずの絵梨香に戻っていた。
そして最後に入室してきた朋子はというと、さすがはオス化した女、絵梨香とは対照的にすっぴん&メガネ&缶ビール片手に現れて早希は思わず笑ってしまった。
学生時代からの友人である早希・美穂・絵梨香。それから、婚約破棄され荒れ狂っていた時代に仲良くなったバツイチの朋子。
生活スタイルが異なりなかなか時間を合わせるのが難しい4人でも、オンラインなら気軽に集まれる。もちろんリアルで会う方が100倍楽しいが、Zoomで集まるのも悪くないかもと思えた。
「実は……たくさん迷惑をかけてしまったみんなに報告というか宣言しておきたいことがあるの」
メンバー全員が揃ったところで、美穂が緊張気味に改まって口を開いた。
――宣言……?
モラハラ夫をかばった美穂を思い出し、早希の頭に不安がよぎる。しかし暫しの間のあと美穂が口にしたのは……早希の心配とは真逆の決意だった。
「私ね……離婚することに決めました」
驚きのあまり、とっさには声も出なかった。他の二人……絵梨香も朋子も同じ様子で、目と口を開いたまま止まっている。
――良かった……。
じわじわと、心に安堵が広がった。
美穂が、あのモラハラ夫から離れる決心をしてくれた。しがらみを捨て、新たな人生を踏み出す覚悟を決めた。誰かが決めた幸せの形じゃなく、自分自身がありのままで幸せになれる道を選んだのだ。
目頭が熱くなるのを感じながら、早希は画面に向かって叫んだ。
「決意したんだね!私は応援するよ!」
聞けば、離婚経験のある朋子の紹介で、すでに弁護士にも相談しているらしい。
仕事を探して自立するつもりだと話す美穂は生き生きと頼もしく、その堂々とした姿に早希は感動すら覚えた。女性が持つ真の強さというのは、窮地に立ってこそ発揮されるものなのかもしれない。
弁護士とともに進めているという離婚準備について話す美穂。早希も興味津々で耳を傾けながら、ふと気が付いてそばにあったスマホを手にとった。
――あれ、誰だろ……?
画面上に、珍しくメッセンジャー通知が届いているのが見えたのだ。
早希の普段のやり取りはLINEがメインだ。メッセンジャーで連絡してくる相手に心当たりはない。
怪訝に思いながら通知をタップして……早希は「あっ」と小さく声をあげた。
刹那、頭のてっぺんにまで血がのぼり、そのあと急に寒気が走った。皆に気づかれないよう、早希は急いで顔をカメラから背ける。
――嘘でしょ……なんで私に!?
差出人として表示されていたのは、あろうことか『Takayuki Shimizu』のアカウントだったのだ。新婚当初から美穂を虐げ続け、挙げ句の果てに暴力まで振るったモラハラ夫……。
美穂が何やら真剣に語る声も、絵梨香や朋子の相槌もどんどん遠のいていく。
ドクドク脈打つ鼓動と目眩を感じながら、早希は震える指でメッセージを開いた。
NEXT:1月31日更新
美穂が前向きに離婚を進める一方で、簡単には引き下がらないモラハラ夫が不穏な動きを見せる……
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