1月8日、議会襲撃事件を受けて一時凍結されたトランプ元大領領の個人アカウント。写真:ロイター/アフロ

米ツイッター社が、米国の議会襲撃事件を受けてトランプ前大統領のアカウントを停止したことが波紋を呼んでいます。暴力行為を扇動するような投稿は誰のものであれ制限すべきという意見がある一方、言論の自由に反するという考え方もあるようです。
日本では、SNSでの暴言や誹謗中傷が発生するたびに、言論の自由なのか投稿の制限なのかという議論になりますが、このあたりについてはどう考えるべきなのでしょうか。

 

米ツイッター社は2021年1月8日、トランプ氏のアカウントを永久停止処分にしました。米議会襲撃事件を受けての措置ですが、その後もトランプ氏の熱烈な支持者のアカウントを凍結するなど余波が続いています。

基本的に民主国家では言論の自由が保障されていますが、それは一定の条件下での話であり、民主国家であれば何を言っても良いというわけではありません。民主主義そのものを否定する意見(人種差別をしてもよい、暴力行為を行ってもよい、独裁を行ってもよい、政府に対する批判を抑圧してもよい、など)は、民主国家では基本的に許容されません。

トランプ氏の投稿が議会襲撃をどの程度、煽ったのかについては見解が分かれるでしょうが、議会を襲撃する行為を認める、あるいは認められるかのような発言をすることは基本的に許容されないと思って良いでしょう。しかしながら、どの範囲までなら許されるのかについては、欧州と米国では少し様子が異なるようです。

米国の場合、言論の自由の幅が広く、広範囲にモノを言って良いという慣習が定着していると同時に、企業活動についても完全な自由が認められています。今回はあくまで、民間企業であるツイッター社のアカウントを巡る騒動ですから、極論を言えばトランプ氏は何を言っても構わないが、ツイッター社もどんな措置を実施しようが自由ということになります。もちろん米国社会も公益という観点から、どのような発言も許されているわけではありませんが、欧州に比べると、制限は緩いと考えてよいでしょう。

一方、欧州は個人の自由よりも社会全体としての公正さを優先する傾向が強く、発言についても米国より厳しい制限があります。今でもドイツでは、ナチス式の敬礼を行ったり、アウシュビッツの虐殺は存在しなかったという趣旨の発言をすることは許されていませんし、場合によっては罪に問われることもあります。

フランスは革命国家ですから、国家の成り立ちやその精神が極めて重視されています。日本から見ると、フランスは自由の国というイメージが強いかもしれませんが、あくまでも「共和国の精神に反しない限り」という前提条件が付くと考えた方がよいでしょう。フランスにおいて「これは他でもない共和国の問題なのです」というセリフが出てきた時には、問答無用というニュアンスが伴います。

この違いを考えると、ツイッター社のアカウント凍結措置ついて、米国では批判する人が多く、欧州では支持する人が多いように思えますが、不思議なことにツイッター社の対応については、ドイツのメルケル首相やフランスのルメール経済相など欧州の有力者が「問題だ」として批判しています。

 
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