ーー野田さんと高橋さんの演技について、共通点を考えたとき、女性役を演じたことがあることが浮かびました。
いま、高橋さんはテレビドラマ
『天国と地獄〜サイコな2人〜』(TBS系)で女性(綾瀬はるか)の心がカラダに入れ替わってしまった役を演じて、声音や仕草の女性らしさが巧みと評判です。野田さんも舞台でよく女性の役を演じて、それがいつも絶妙です。

 

野田:いや、おれが得意なのはおばさん役だから、比べることはできないと思う。ドラマは噂を聞いて見ました。そうしたら、今度の舞台『フェイクスピア』の最初のほうの台本に書いていたことと「ほんの少しかぶったかな、いやだな」と思ったところがあったんですよ。

高橋:奇しくも。

 

野田:シェイクスピア作品のある女性のセリフを言うところがあって。それをドラマで言っているわけではないし、実のところあんまり本質的なところではないけれどね。それ以上はまだ言えません(笑)。

高橋:言えないことばかりというか……僕もまだ全然内容がわかっていないんです。

野田:まだ台本があがっていないからね。今日、出てくる話題といえば、「台本はいつできるんですか?」というようなことじゃないですかね。で、俺が口ごもる、みたいな流れに……(笑)。

高橋:台本を頂いたとき、はじめて会話が生まれそうな気がします。

――歌舞伎に代表されるように男性が女性を演じる面白さが演劇にはあると思いますが、お二人が女性を演じるとき、何に気をつけていますか?

野田:高橋さんはそんなに頻繁に女性役をやっているわけじゃないでしょう。

高橋:はい。以前、蜷川幸雄さんの演出で、シェイクスピアの『から騒ぎ』(‘08年)をオールメール形式(シェイクスピアの時代に男性俳優のみで演じていたやり方)で女性を演じたことはあります。
それくらいで、今回、ドラマで久々に女性を演じることになったので、女性を演じることが得意だという自覚はないです。

野田:そもそも、同性を演じることと、女性を演じることって、あんまり関係ないと思わない?

高橋:ないです。それよりも難しいことが、他によっぽどあると思います。

野田:女性と男性を分けて考えないほうがいいんだよ。女性を演じるときに、急にこんなことやる(手をくねらせる)ような芝居の仕方があるじゃない。
こんなんで(くねくねしながら)、「え〜っ」(鼻にかかったような甘え声で)としゃべるような。ああいう紋切り型の演技は見ていられないよ。

高橋:大げさにやるのではなくて、微妙な匙加減が大事なんだと思います。
『から騒ぎ』のベアトリスは完全に女性の役でしたが、今回のドラマでは、男性のカラダのなかに女性の精神が入ったという設定で、野田さんが見てくださったのは、第2話の、急に入れ替わってパニックになっているところでしょうか。
そこでは、あえてギリギリのところでディフォルメしましたが、第3話以降は、そこまで強調しなくなります。

 

野田:自分のままで、外見だけ、女性の髪型や服装をしていれば、それだけで成立するんだよね。僕がおばさん役を演じるとき、このまんまだもん。野田秀樹のまんま喋っているだけです(笑)。
意識するとしたら、ほんのちょっとだけ手先の動きを繊細にするのと、両肩の方向を意識するのと、あ、それと背骨かな?って結構意識してるね(笑)

高橋:はい。そもそも男性が女性を演じる時点で、見る方に紗がかかっているんでしょう。
『から騒ぎ』で女性を演らせてもらったときに学んだことがあって、それはおおよそ、ふだん女性がやっている仕草ではないんです。
ただそういう仕草は、ある意味、自分を騙すためであって、見ている方は表層をさらって感覚で観るわけで、演っている側だけが体系的に理解していればいいだけの話。なので、多くを語ったところでそこをそちら側にわかってもらおうなんてハナから思っていません。表向きに言えば、自分は今、女性であるということを意識するくらいかなと。

野田:いまのドラマでは、二重人格として描いているっていうことになるの?

高橋:最初にプロデューサーの方々と話したことは、男の身体のなかに女の魂が入った場合、男性の身体と女性の心(感覚)が混ざって、3番目の人格が生まれるのではないかということでした。

野田:全然違う話だけど、以前、(故)中村勘三郎に『鼠小僧』を書いた時、鼠小僧が女中に扮装してお屋敷に潜入している場面で、女主人から、男の真似をしろって言われて、「男の俺が女に化けて、男の真似をする……あ~できません!」っていうセリフを書いたのを思い出した。でもあれだね、心の中で共存していくってことは、きっと多重人格的なものだろうな。そういう場合は、きっと3番目が出てくるよね。

高橋:人間の精神は、身体とも関係あると思うので、違う身体に最初は戸惑いながら、徐々にその身体に合った動き方をして考え方も変わっていくかもしれない。
あるいは、考え方によって身体の動かし方が変わって、身体付きも変わっていくかもしれない。
性格や個性なんて実は曖昧なもので、環境によってどんどん揺らいでいくのではないかと思っていたので、話が進むにつれ、変化していく様子をやってみたいと思っていました。

野田:ダニエル・キイスの『五番目のサリー』みたいで、そういう設定は面白いね。
3番目の人格ってどういうふうに出てくるんだろう。演じ分けるのは難しそうだなあ。こんなのになっちゃったりして(すごく大胆な動きをはじめる)。

高橋:ハハハ(嬉しそうに笑う)。

野田:テレビではこんなことをやったら放送できないからダメと言われるだろうね。そこまではやっちゃいけないよね、っていうようなことはあるから。
芝居の稽古場だったら、いくらでもいろいろなことを試すことができるけれど。