陛下と美智子さまが自ら準備する葬儀とお墓「400年ぶりの火葬で国民に負担なく」

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④ 次の世代もともに眠るために


天皇のお墓である陵は、大正天皇陵と昭和天皇陵のある八王子市の武蔵陵墓地内に造る予定です。武蔵陵墓地は、その面積や地形から、将来陵を増やすことができないのではないかと懸念されていました。

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東京都の昭和天皇武蔵野陵。写真/アフロ

陛下と美智子さまは陵の大きさと配置を工夫すれば、のちのちお二方を含め、次世代の方々も離ればなれにならず、お傍近くにしずまることができるのではないかとお考えになったのです。

形は高さの低い四角い台に半円が乗ったような上円下方墳で、敷地面積は昭和天皇と香淳皇后の陵が合わせて4300平方メートルなのに対し、お二方合わせて8割程度の3500平方メートルとなります。

 

⑤ 手をつないだような配置のお二人の陵


「合葬というあり方も視野に入れてはどうか」
という陛下(上皇さま)からのご提案もありました。これに対し、美智子さまは、
「合葬はおそれおおく感じます。陛下のお気持ちに深く感謝しつつも、ご遠慮したい」
と、ご返事されました。

美智子さまは、昭和の時代から「上御かみご一人いちにん」という思いで仕えていました。「上御一人」というのは、最高の地位にあるただ一人の方であり、天皇の尊称です。そのお気持ちから、ご一緒するべきではないとお考えになったのでしょう。

さらに、もし美智子さまが先に亡くなった場合、合葬では陛下が存命中に陵が造られることになってしまいます。また、祭事を行う際には、天皇陵の前では天皇だけの祭事が望ましい、といった理由もありました。

とはいえ、美智子さまは陛下のお気持ちに応えるため、
「皇后陵をそれまでのように大きくしないで、天皇陵のそばに置くことは許されることでしょうか」
と、周囲にご相談になったといいます。

このようなことがあって、陵の配置は、昭和天皇と香淳皇后が二股に分かれた道の先にあってそれぞれが少し離れているのに対し、お二人の陵は同じ敷地内に寄り添うように並ぶ「不離ふり一体いったい」のかたちとなりました。
まるでお二人が手をつないでいるかのような、優しさあふれるたたずまいです。

遠い未来のことであってほしいと願う


この葬送と陵の方針の検討について、
「両陛下がお元気なうちから、政府が葬儀の話をするのは失礼ではないか」
という声もあったといいます。しかし、人任せにしていては、従来を踏襲するばかりで、昭和の「大喪の礼」と同じことが繰り返されるのです。

陛下と美智子さまは、残される国民や家族のために、ご夫婦二人で、自分たちの最期の時のことを考えるべきとお考えになったのでしょう。

この発表の最後に、宮内庁は、
「今回の発表内容が現実となる日があたうかぎり遠い将来のことであるように念願してやみません」
と締めくくりました。国民の多くも同じ気持ちでしょう。

文/高木香織
ヘッダー写真/JMPA/光文社

 

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『美智子さま いのちの旅 ―未来へ―』
講談社 価格1650円(税込)
渡邉みどり著

30年に渡る、上皇さまと美智子さまの最後の大仕事「終い方」に向けたあゆみをまとめた一冊。昭和天皇崩御と喪儀、即位といった一連の儀式のためにかかる莫大な経費と国民の自粛による経済への大きな影響に驚いた美智子さまは、終い方に向けての取り組みを始めました。家族会議を開き、国会を動かして法改正し、墓陵のかたちを決め、上皇さまの生前退位を実現したのです。著者は、日本テレビ放送網のプロデューサーとして美智子さまのご成婚パレードを取材し、昭和天皇の大喪の礼では総責任者として陣頭指揮をとった皇室ジャーナリストの渡邉みどりさん。国民にとっても学べることが多い内容です。

第1回「美智子さまの終い方「30年前、即位の時の異例の発言」とは?」>>
第2回「美智子さまの「生前の遺言」国民の負担にならないお墓と葬儀とは?」>>
第3回「30年の年月を経て...上皇陛下と美智子さま「生前退位の日」一礼に込めた想い」>>

第5回「美智子さまの断捨離「元は2トントラック100台分...膨大な思い出の品の整理」>>

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