4月になり、新しい環境がスタートしたという人も多いのではないでしょうか。新しい職場、新しい学校……時に理不尽だと思う慣習に直面することもあると思います。私のFacebookタイムラインではPTA活動の非効率さに悲鳴を上げる投稿が相次いでいました。

理不尽だなぁ……もっとこう変わったらいいのにな……と思うことに対して、声を上げること、何か働きかけをすること。それを躊躇う気持ちもわかるけれど、まずできる1歩からはじめてみようと思わせてくれる本があります。

 

社会運動について研究している立命館大学の富永京子准教授の『みんなの「わがまま」入門』です。この本は「わがまま」を肯定的に捉えており、そもそもなぜ個人の不平を意見することが「わがまま」=自己中心的と捉えられやすくなってしまったのか過去からの変化を説明してくれます。

 

1970年代ごろ一億総中流と呼ばれた時代はみんなの「ふつう」がある程度共通していて、誰かが声を上げることはみんなの利益になりやすかった。でも、今は前提が個人化・個別化している中で、声を上げてもみんなが「それな!」と言ってくれるとは限らない、「自己中」と見られてしまうこともある……ということだそうです。

たとえば女性の置かれた環境、と言っても多様化していて、女性であるという理由だけではつながりにくくなっている。ただ、今の「わがまま」に希望がないかというとそういうわけではなく、異なる現実の中でも共通の「根っこ」の問題を見つけて広げていく運動はありえると著者は言っています。

このほか、この本では「結局変えられないんじゃないの? 根本的な改善までもっていけなかったら意味がないんじゃないの?」とか「ずっとやり続けられるかわからない」といった、社会活動をする人に対して抱かれやすい疑問にやさしく答えています。

意見を言うことで、そういった要求があることを公に出していくこと自体に価値があるし、自分の中で言語化をして消化するだけだって意味がある……と、この本は言ってくれていると思います。

 
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