4月にスタートした春ドラマ。早くも多くの物語が中盤に入ってきました。仕事柄、どのドラマも好き嫌いは言わず頑張って見続けるようにしているのですが、その中でも素直に「今日は〇〇の放送日だ♪」と楽しみにできるものが、毎回いくつかあります。今回は、それが竹野内豊・黒木華コンビの『イチケイのカラス』と、玉木宏・広末涼子コンビの『桜の塔』。どちらも裁判官もの・警察ものと、ミステリーを解明する1話完結ものでテンポも良く、スッキリするエンタメ作品としてその時間を楽しんでいます。
「正義」のためにルールは破ってOKか?
この2作品は視聴率も良く、私に限らず多くの人が見続ける選択をしているよう。こういうコロナ禍、皆、あまりあれこれ考えさせられずスッキリできる作品を求めるのかなあ、などと思っていました。でも、満を持して登場した新『ドラゴン桜』を見たとき、それは実は違うのかも、と思ったのです。私は実は、『ドラゴン桜』にはなくて『イチケイのカラス』と『桜の塔』にはある、“ある価値観”を好んでいたのではないか、と……。
ものすごく端的に言いますと、それは“正義”に対する価値観です。といっても、どの作品の正義が良くて、どの作品の正義が良くない、ということではありません。この3つの作品の登場人物たちは、皆すべて強い正義感を持っています。ただその正義の貫き方に、決定的な違いがあるなと感じたのです。
ネットコメントを見る限りでは、新しい『ドラゴン桜』は前作とは別ものになっていると、不評意見が多勢を占めています。たしかに前作の「バカとブスこそ東大に行け!」という軸は、現代の倫理観においては完全にアウトですから、物語の描き方そのものが大きく変わってしまうのは致し方のないことです。でも、多くの人が「何か違う」と違和感を抱いたのはそこではなく、実は阿部寛演じる桜木のキャラクターにあったのではないかと私は感じたのです。
前作でも桜木はキャラ立っていて、傍若無人で破天荒なアプローチで生徒のやる気を引き出していました。が、今回はなぜか、桜木のその傍若無人ぶりが前作以上に気になる……。そのため「え、今ってこういうの大丈夫なの!? まあ桜木のキャラクターだからアリってことなのか……」とモヤッとしながらも、そのモヤッと感に蓋をしてとりあえず楽しんだ、というのが実情です。だって桜木はバイクで学校の廊下を走り不良生徒を脅したり、様々な証拠を動画で隠し撮りしたり。もちろんそれらは全て生徒のためにやっていることで、結果的に生徒も桜木の思いを理解し心を開くわけですが、法的にどうかというと、かなり際どいところでしょう。つまり、正義のためには多少ルールも破る、というのが桜木という人間の正義の貫き方だと思うのです。
そして、この正義の貫き方において『ドラゴン桜』と対極的にあるのが、『イチケイのカラス』と『桜の塔』です。
『イチケイのカラス』の主人公・入間みちお(竹野内豊)は、裁判所主導で事件を調べる“職権”とやらをやたら発動して、事件の真相を解明する裁判官。入間と同じ部署に異動してきた生真面目でルールに杓子定規な坂間千鶴(黒木華)は、最初は入間を毛嫌いしていたものの、次第に彼の信念に共感していく、というストーリーです。
このドラマで私がもっとも興味深いと思ったのは、最大多数の幸福よりも法やルールの遵守を絶対重視する、という物語の描き方にあります。実は1話目を見たときは、かつてキムタクが検察官を演じ大ヒットしたドラマ『HERO』とものすごーく既視感があり、それなら正直『HERO』のほうが面白いかなあと、脱落の予感がしていたのです。
ところが第2話を見て、ちょっと違うと感じました。第2話は、あっちゃんこと前田敦子が演じる女性が、「乳幼児揺さぶられ症候群」という虐待を疑われ裁かれる、というものでした。しかし彼女は無罪を主張している……。
実はこの裁判の背景には、「揺さぶられ症候群は証明が難しく、ほとんど起訴されないのが実情。だから裁判所がむやみに調査をすると検察は起訴を躊躇するようになり、今後起こる多くの虐待が見逃される」というジレンマが潜んでいました。つまり、彼女を有罪にしないことは、今後虐待で死ぬかもしれない多くの乳幼児を救わない、ということにもなりかねないのです。そう言われると、誰しもちょっと迷いが生じますよね。どちらが正義なのか、と……。だけど、法は法なのです。どんなにその先に良い結果があるように思えても、無罪の人を有罪にして良い法はない。入間は最初から一貫してブレることなく真実を調査し、最終的にあっちゃんの無罪を証明し救うのです。
この後も『イチケイのカラス』は、愛する人を守るために罪をかぶろうとした人たちの真実を、ややもすると、残酷なまでに見事に暴いて正しい判決を下していきます。その中には、見ていて「そこはもう目をつぶってあげたほうが、みんなにとって幸せなのでは……」と思うものもあるほど。もちろん判決を下す彼らも苦悩しているのですが、それでも「客観的に基づき裁く必要が私にはある」と言い切る。絶対に、法やルールから逸脱しないのです。
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