以前書いたSDGsの記事では、新しい資本主義の在り方が進んでいくことに希望を見出しました。一方で、前回紹介した『99%のためのフェミニズム宣言』では、実は資本主義そのものが否定されています。環境や人権を犠牲にするオールド資本主義よりは、ニュー資本主義の方が望ましい。しかし、資本主義そのものを脱することはできるのでしょうか。

最近は『共鳴する未来』(宮田裕章・著)『ビジネスの未来』(山口周・著)のように、そもそも成長率を目指すことに無理があること、GDPという指標の妥当性を問う声も出ています。それらの本で、成長率を追い続けることの限界と弊害は十分理解できるのですが、では具体的に資本主義以外のどのような社会が構想可能なのか、そこにたどり着く道筋は……といった点についての解はあまり見えてこないように感じていました。

その点で、今25万部を突破している話題の書、『人新世の「資本論」』(斎藤幸平・著)は、1つの解を示してくれている稀有な本だと思いました。

この本では、これまで公開されていなかったマルクスのノートも含めて新たなマルクス・エンゲルス全集を出版するプロジェクト「MEGA」の一員である著者が、マルクスの晩年の思想の転換を読み解きながら、脱成長コミュニズムという在り方を提案します。

 

SDGsや環境に配慮した活動を免罪符になるためむしろ害があるとしている点など、それでいいのかと疑問に思うところもあるのですが、個人的に興味深いと感じたのは、2013年に破綻した米・デトロイト市のその後の市民たちの取り組みや、新自由主義に反旗を翻すフェアレス・シティを打ち出したスペイン・バルセロナなど、いくつかの自治体で行われている取り組みを紹介しながら、希望を抱かせてくれる点です。

 

とりわけ、広告やブランド化によって価値を高めるのではなく使用価値を重視した経済に転換していくことが、ケア労働の再評価も可能にしてくれそうな点には強く関心を抱きました。日本で2019年に世田谷区の保育園が倒産した際、保育士たちが自主営業の道を選択し、実現した事例も記載されています。

『ケアするのは誰か? 新しい民主主義のかたちへ』などケア論を扱った最近の本でも、ケアの配分を民主主義的に決めること、皆がケア労働を経験することなどの重要性が説かれているのですが、こうした理想的なありかたを具体的にどのように実現するかという点では、脱成長コミュニズムは親和性が高そうです。

シェアリングエコノミーや、ウーバーイーツに代表されるようなギグワーカーの働き方にしても、ある特定の営利企業に搾取される形ではなく、例えばアプリの利用者たちが共同管理をする方法もある。格差の拡大と分断、パンデミックや長期的な気候変動等による危機に呆然と立ち尽くしてしまいそうになる私達に、結論が出たとまではまだ言い切れませんが、光はあるのかなということを教えてくれる著作でした。
 

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