『イエスかノーか半分か』をはじめ数々の著書がある人気BL作家・一穂ミチさん。今年4月に刊行された一般文芸小説『スモールワールズ』は、発売前から書店員さんの熱烈な支持を集め異例の大部数で刊行されるなど話題を呼んでいます。
BLに限らず、王道恋愛ものからエッセイまで、幅広いジャンルの漫画を読むという一穂さん。長引くステイホームの今だからこそ読みたいコミックエッセイを教えてもらいました。

「ひとさまの人生」を覗く。人気作家がハマるコミックエッセイ3選_img0
 


心惹かれるコミックエッセイの三大要素
「異文化」「食」「心霊」


自分以外の人生を生きることはできない、ゆえに「ひとさまの人生」を垣間見るのが大好きだ。と言って本当に生垣の隙間からよその家を観察していると秒で捕まるので、この世に「エッセイ」「日記」というジャンルがあってよかった。しかも「コミックエッセイ」になると「好きなもの」と「好きなもの」が掛け合わさってもう無敵だ。わたしにとってはビールと餃子、マッコリと焼肉、日本酒とお造りに等しい。全部酒と食い物。

コミックエッセイを個人的に好きな三大要素で分けると、「異文化(旅、暮らし)」「食」「心霊」になるので、この三つの中からおすすめをご紹介していきたいと思う。

 

まずは「異文化部門」で『ニューヨークで考え中』(近藤聡乃・亜紀書房)を。ニューヨークといえば、「人種の坩堝」「最先端オシャレシティ」「生き馬の目を抜くビジネスの中心地」「I♡NY」。キャッチフレーズはいろいろあれど、ニューヨークという街を巨大な瓶詰めにするならそれらはあくまでもガワに貼られるラベルで、近藤さんの描く現地での日常は、瓶の中のささやかなお菓子だと思う。ジェリービーンズや金平糖みたいな、色とりどりでちょっとずつつまむと嬉しいもの。

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『ニューヨークで考え中』(1)近藤聡乃(亜紀書房)

近藤さんの描線はため息が出るほど美しい。水面を滑らかにかくオール、だだっ広いシーツのしわをするする伸ばしていくアイロン、そんな流れるような気持ちよさがある。緻密なのにやわらかく、シンプルにデフォルメされた人や動物はかわいい。手書きの文字もフォントにして売ってほしいくらいきれいで、まず目に楽しい。

お味のほうも、スーパーで売っている激安タオルやセントラルヒーティング事情、ビザ更新にまつわる苦労などバリエーション豊かで食べ飽きない。一話一話じっくり大切に読みたいのに、手は次々にページをめくりたがる。特に、アメリカ人のパートナーとの間でしばしば交わされる日本語と英語についての対話は面白いし勉強になった。「ふ」を「あの、かわいい平仮名何だっけ?」と近藤さんに尋ねる場面などは非常にほほ笑ましく、また、自分の幼い頃を思い出させてもくれる。文字や言葉に初めて触れた瞬間が確かにあった、と当たり前のことが懐かしくなる。

もちろん、綴られる日常は楽しいばかりでなく、噛みしめれば苦いものもある。現実の今を生きる近藤さんの上にもコロナ禍が影を落とし、BLM運動の高まりとともに自らの価値観のアップデートに考えを巡らすエピソードも描かれている。

世界じゅうの誰も経験していないパンデミックから一年が過ぎた。未だ多くの人々が閉塞と忍耐の中にいる。もちろんわたしも、それなりにしんどい。視界不良の日々にふと息苦しさを覚えたら、最新刊三巻の描き下ろしエピローグを読む。地下鉄がブルックリン橋を渡る見開きの描写と近藤さんの控えめなメッセージにいつも涙が出る。ニューヨークは「わたしの街」じゃないのに、そこにある景色はふしぎと温かくやさしい。近藤さんの眼差しがそのまま紙の上に写し取られているからだろう。