自身の半生を綴った私小説『母』を上梓した青木さやかさん。本作は「わたし」を好きになれなかった過去と、そんなわたしを形作った「母」への憎しみが氷解するまでを描く物語です。『婦人公論.jp』での連載時から共感を呼んだのは、親からの愛情に飢えていた青木さんが、大人になってからも生きづらさに苦悩する姿でした。「娘」として愛を受け取れずに育った一人の女性が、娘を持つ「母」となって思うこととはーー。同じような境遇で葛藤し、もがき苦しみ、大人になった女性たちへ、青木さんの言葉をお届けします。

 


母の愛ってなんだろう。それでも私は、宇宙のために娘を育てる
 

「子どもを産むと親に感謝できるようになる、と聞いたことがありました。娘を出産する時、母への積年の憎悪も自然と融解するんじゃないかって、ちょっとだけ期待していたんです。結果から言うとダメでしたね。がっかりはしましたけど、“自然と”そうなることを期待していただけで“自分で”決めていたわけじゃありませんから、当たり前の結果だったのかもしれません。ああ、今回もダメなんだな、という感じでした」

 

青木さやかさんは本書の中で、母親に対する苦々しい思いを吐露しています。国語教師だった母親は生徒にも慕われ、容姿も端麗。他人から見れば「自慢の母親」にも見える存在が、青木さんにとっては疎ましく、次第に憎しみの対象になっていきます。原因は、子どもが母親から享受できるはずの無償の愛情を与えてもらえなかったこと。そしてある日、高校生の柔らかな心に、「あなたなんか産まなきゃよかった」という残酷な言葉の矢が突き立てられます。

「もし、母が選べるのだとしたら、わたしはこの母を決して選ばなかった。わたしはアンラッキーだ。どうしてわたしには、この母が割り当てられたのだろう。」(『母』P.28より)

母親との確執は、産まれてくる我が子に対しても“私はこの子に愛情を持てるのだろうか?”という疑問を抱かせました。今では娘を慈しみ育てる母親として、ごくごく当たり前のように「うちの子が一番かわいいです」と顔を綻ばせる青木さんですが、次のようにも語ります。

 

「我が子が一番かわいい。それは本音です。ただ、これは友人の言葉ですが、私は娘を“割り当てられた”とも思っていて、子どもはこの宇宙ですべからく大事にすべき存在だから、私は宇宙のためにこの子を育てている。そういう任務が与えられたのだ、と。そう考えることで、娘に執着しすぎたり、自分の所有物だと勘違いしそうな気持ちを諌められもするんです。

私は母の元に割り当てられたけれど、大事にしてもらえなかった。だから私は娘を大事にしたい。でも、愛情が暴走してしまうのも怖いんです。要は、私は何も考えずに愛するということが難しい人間なのかもしれません」

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−7kgのダイエットにも成功!いっそう輝きを増した青木さやかさん
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