神様や天使は「いいね」を押さない


穂村さんの歌には、読者を別の世界に連れていくような魅力があります。それは、今の人々がリアルとバーチャル両方の世界を持っていることとは性質が違うのでしょうか。

「『シンジケート』の中には、命令形の歌がいくつかありますよね。その命令している対象が何かって言うと究極的には世界なんですよね。世界全体に命令しているような。

目を醒ませ 遠くラグーンに傷ついた人魚にとどめを刺しにゆくため

雄の光・雌の光がやりまくる赤道直下鮫抱きしめろ

ーーー『シンジケート[新装版]』より

これは誰に『目を覚ませ』と言っているのか。誰に『抱きしめろ』と言っているのか。究極的には自分の中に眠っている生命力みたいなもの。自分と世界が一体化していてそのポテンシャルに呼びかけているというイメージですね。

いま目の前にない世界への供物というか捧げ物と言うようなイメージ。この1首の短歌を書き終えると世界の様相が変わるというような、妄想のようなもの。短歌そのものがそういう特別さへの橋をかけるものだというイメージがあるんです。

それが昨今の口語短歌との感覚の違いの1つであると感じます。今『バズる』みたいな感覚が、短歌を作る側にもかなり取り込まれていますからね。『バズる』というのは他者、つまり自分以外の人間のジャッジですよね。一方で、神様や天使は『いいね』を押さない。あの頃はバーチャルな世界がなかったので、もしもう一つの世界があるとするならば、それは人間の読者以外の何者かの領域だったんです。今は、例えば電車に乗りながらスマホを見てる人たちは、半分バーチャルな世界にいるので、劣化したリアルがそこにいる、みたいな印象ですね。2つの世界の相互作用で言葉が地上的に変化したという感じがありますね」

 

車とSNSは似ている?


今、バズるとおっしゃいましたけど、SNSが発達し、誰でも自由に発信したり表現できるようになった一方、攻撃性も増していると感じます。自分の意見を発信したいけど怖いとか、表現するのが怖いと感じている人もいるように思います。長年表現を続けてこられた立場から、どうアドバイスされますか?

「インターネット以前に、そういう世界の二重性や他者とのコミュニケーションの変質を感じたのは、車を運転するようになってからなんです。

車に乗っている他者は非常に荒々しいんですよね。生身で歩いている人が『おいふざけんなよ、気を付けろ!』とかって言う事は今はまずないでしょう(笑)。それなのに、車に乗っただけでみんなの態度が激変する。つまり、何か身体感覚があの箱の中に入ることで変化するんですよね。で、僕はそれに慣れることができなくて、生身の感覚の延長線上で車を運転していたので、クラクションをならされたときの不快感やショックがすごく大きかったんです。

ところが、車好きの後輩は全然捉え方が違っていて。その人にとっては、クラクションを鳴らしまくるのもコミニケーションだっていうんです。クラクションというのはコミニケーションツールなんだから当たり前といえば当たり前なんだけれど、僕にはすごく攻撃的に感じられた。でも、後輩はそう思わないので、結構気楽に鳴らしまくるし、鳴らされても何とも思わない。そういうことをその後輩の運転する車に乗った時に初めて知ったんです。

SNSも車と似ていると思うんです。SNSといっても、Twitterなのかインスタなのか、種類によってコミュニケーションの様相が全然違う世界になっているけど。そうするとコミュニケーションの前提として、ツールの特性の影響がすごく大きいと思います。そもそも車に乗るのかとか、どのSNSの中で何をやるのかという個々の意識が重要じゃないかと。

僕はTwitterはみんなちょっとやりすぎじゃないと言う印象を持っています。友人・知人に関して、Twitterを見たことでその人の評価が上がった事はまずなくて、という事は、自分がTwitterをやれば間違いなく評価が下がるという思い込みがある(笑)だから手を出す気になれないんです」

発信するなら性質を見極めてからということですね。

「SNSはあったほうがいいか、ないほうがいいかと言えば、絶対あったほうがいいと思います。それは震災の時も思ったし、国家権力のようなものに対しても思う。人災的なものであれ、天災的なものであれ、コロナみたいなものであれ、何か大きなものとの関係において重要ということですね。

一方で、SNSを個別の対人コミュニケーションツールと捉えた時は扱いが難しいのではないでしょうか。対人的なコミニケーションを全員がある一定のツールでやらなければいけない、という事はないのではないか、と思うんです。見るだけ、とか、コミットしないということもできるわけだから」。

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穂村 弘(ほむら・ひろし)
1962年、北海道生まれ。歌人。1990年、歌集『シンジケート』でデビュー。現代短歌を代表する歌人として、その魅力を広めるとともに、評論、エッセイ、絵本、翻訳など様々な分野で活躍している。2008年、短歌評論集『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞、連作『楽しい一日』で第44回短歌研究賞、2017年、エッセイ集『鳥肌が』で第33回講談社エッセイ賞、2018年、歌集『水中翼船炎上中』で若山牧水賞を受賞。他の歌集に『ドライ ドライ アイス』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』『ラインマーカーズ』(自選ベスト版)等がある。

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<新刊紹介>
『シンジケート[新装版]』

穂村 弘/著

伝説のデビュー歌集、31年目の新装版。1990年に第一歌集『シンジケート』で鮮烈なデビューを果たして以来、現代短歌を代表する人気歌人として、エッセイ、評論、絵本、翻訳など幅広い分野で活躍する穂村弘。その原点であり、現在の短歌ブームにつながる新時代の扉を開いた伝説の歌集が、人気画家ヒグチユウコの絵と名久井直子の装丁で新たに生まれ変わりました。解説・高橋源一郎。

取材・文/榎本明日香
構成/川端里恵(編集部)

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