男性社会でイケメンは得をしない


その答えはというと、ズバリ、日本はまだまだ圧倒的に男性社会だからです。これが何を意味するかというと、人は好感を抱いた相手に何かと利益をもたらそうとするものですが、日本社会の場合はそれをおこなうのはおおむね男性だ、ということ。つまり、男性に好感を抱かれる傾向にある「美人」は社会において多大な利益を得られるけれど、男性は「イケメン」だとしてもたいした利益につながらない、ということなのです。

男性社会において「イケメンだ」と評価されたところで、まだまだ少数派である女性から優しくされる確率が高い、という程度。下手したら多数派である男性からは嫉妬されて、組織では生きづらくなる可能性すらあるでしょう。

さらにイケメンではない男性、つまり不細工な男性が不利益をこうむるかというと、これもそうとは言い切れません。多数派である男性は、同性を顔で差別したりはあまりしないでしょうし、何だったら「アイツは見た目で損をしている、助けてやらなければ」と、“男らしい”気概すら抱くかもしれません。何より日本社会は、昭和の国民的アイドル・田原俊彦の歌にもあったように、「男は顔じゃないよ、ハートさ♪」という価値観がしっかりと根付いています。だから異性である女性も、イケメン芸能人を見て楽しんではいても、現実には男性を顔だけでは判断したりしません。むしろイケメンなのに中身が微妙だったりすると、「残念なイケメン」としてより手厳しい評価を下すこともあるくらい。

 


「美人」と「イケメン」は土俵が違う


つまるところ、「美人」を語ることと、「イケメン」を語ることは、まったく土俵が違うのです。前者は社会構造と大きくつながっているものであり、後者はそうではないから。

もちろん、だからといって男性の容姿評価をしていいんだと開き直るつもりはありません。が、少なくとも、「女性を容姿で差別するなと言うが、自分たちだってイケメンとか言って楽しんでるじゃないか」と責められるのは違うのではないか、と感じたのです。だから今後、もしもそのように論点をすり替えられることがあったら、「それはね、問題の本質が違うんだよ。日本はまだまだ男性社会だから美人は得だけど、イケメンは……」と、多少長ったらしくはなりますが、きちんと説明して相手の理解を得ようと思います。何だったら「これはね、『男は顔じゃない、中身だ』という男らしさの押し付けに対する積極的是正活動の一つでもあるんです」とまで言ってもいいかもしれない、と思ったのでした。

写真/アフロ 文/山本奈緒子 構成/藤本容子


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