ソフィとDVDを持ち寄って映画鑑賞をするようになってからずいぶん経つ。彼女のこだわりで、部屋を暗くするのも定番となっている。
パリのアパルトマンはカーテンのない部屋がほとんどだ。あるとしても寝室くらい。この家も同様で、越してきた当初は外から覗かれ放題なことに落ち着かなかったけれど、今ではすっかり慣れた。幸い最上階だし、いつもエッフェル塔の頭が見える点は気に入っている。暗くしたいとき
「OK、準備完了」
「ありがとう
私とソフィの共通言語は英語。とはいえ英語字幕を追って映画を観ていても、付いていけないことは多々ある。そういうときは都度都度ソフィに質問していた。
私はいわゆる「駐在妻」だ。商社マンの夫に付いて、二年前にパリにやってきた。
異動が決まってすぐフランス語の勉強を始めたものの、未だに簡単な挨拶しかできない。平日に通っていた語学学校も辞めてしまい、フランス語の勉強はほとんど諦めた。
近所の映画館で出会ったソフィは、唯一のフランス人の友達であり、疎外感を抱きがちなパリ暮らしのなかで最も信頼を寄せている親友といえる。
「ちょっと待って。いま『私は裏切らない』って言った?」
映画が始まって数十分、私は停止ボタンを押した。
マチュー・アマルリック扮する主人公の男性と、恋人のシャルロット・ゲンズブールの会話が矛盾しているように感じられたのだった。
「うん、そう言ってたよ」
「でもさっきは『私は結婚している男としか寝ないの』みたいなこと言ってなかった?」
「うん、言ってたね」
「それは裏切りじゃないの?」
私の素朴な質問に、ソフィはアーモンド型の大きな目を見開いた。
「どういうこと?」
「だって、奥さんがいる男と寝てるんでしょ?」
「男は奥さんを裏切ってるけど、彼女は誰も裏切ってないじゃない。フリーなんだから」
「……えぇっと――」
私は一瞬言葉を失い、また「日本では」と説明を始める。
日本では不倫をした場合、相手側にも過失があるとされて、裁判になれば慰謝料を払うことだってある。「私はフリーだから関係ない」では済まされないのだと言うと、ソフィはますます目を丸くした。
「じゃあもし結婚してることを知らずに付き合って、後から結婚がわかった場合どうなるの?」
「騙された自分が悪いってことだね」
「それじゃ、結婚を隠して付き合って、夫婦でグルになって後からお金を巻き上げるとかできるんじゃない?」
すごいことを思いついた! と言わんばかりにソフィが得意げな声を出したので、そっとたしなめる。
「そう。日本には『
「なにそれ! ひどぉい!」
キャッキャと楽しそうなソフィの笑顔には、もはや脱力してしまう。
そのとき、私の携帯が光った。
「ちょっとごめん」
慌てて隣の部屋に移動し、そっとドアを閉じる。
「いま何してた?」
柔らかで落ち着いた、
「友達と映画観てた」
「ごめん、邪魔したな」
優しさに溢れていても、武臣の声には疲れが滲んでいた。その背後から、喧騒が聞こえてくる。
「うぅうん、電話嬉しい。仕事終わったとこ?」
「うん、今から帰る」
「今日もお疲れさまでした」
「ありがと、葉子の声聞くと元気出るよ。早く会いたいな」
甘えたかすれ声が、胸に甘く響く。
「いま電車乗るとこだから、切るね……愛してる」
「私も、愛してる」
愛してる――なんて甘美。自然と目をつぶり、武臣の姿を思い描いてしまう。
リビングに戻ると、ソフィは時計を気にしながら言った。
「電話、旦那さん?」
「違うよ、日本にいる友達」
大学時代の同級生、武臣とは半年ほど前にパリで再会した。燃えるような一時をすごし、今も頻繁に連絡を取り合っている。
――武臣は来週、またパリ出張にやってくる。
身体の芯がじわじわと熱を帯びる。顔も赤くなっている気がする。部屋が暗くて良かった……
私はいつものポーカーフェイスで、映画の再生ボタンを押した。
NEXT:8月8日(日)更新
来週から出張でパリへ来るという武臣。一方、夫の啓介(けいすけ)との夫婦関係は……。
撮影・文/パリュスあや子
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