甘美な成功体験が自分を狂わせていく

2016年1月にオープンしたよろず屋は好調な滑り出しを見せますが、開店景気が続いたのは半年間だけ。その後、客足が徐々に鈍くなっていくのですが、井形さんはこの時感じた焦燥を冷静に分析しています。

「いったんものすごく売れた体験をすると、ちょっと客足が途絶えただけで不安になり、自信が揺らぐ。『まだ在庫がある。おかしい』と独りごちるが、帳簿を見るといつものペースなのだ。冷静に考えてみれば、百貨店の催事であれ、吉祥寺の店であれ、売り上げ目標をクリアできればそれでいいはずだ。それなのに、売れ過ぎた後は『たまたまロングコートが流行っていたから』とか『接客の上手い助っ人がいたからだ』と自己否定にかかる。これは思いの外いい結果が出て、それに追従しなければと、成功に縛られているからだろう」

「どんなに良い結果が出ても、それは恵みのボーナス」でしかない──頭では分かっていても、あまりにも甘美な成功体験を追い払うのはとても苦労したそうです。そしてもう一つ、成功体験に対して警戒しなければいけないポイントを挙げています。

「本来自分が目指したことと方向性がずれてしまうことだ。会社を経営し、本を書き、多忙な日々を送っていた頃は、好きなものに囲まれ、地元でのんびり店をやりたいと切望していた。それは有名店になることでも、身に余る利益を追求することでもなかったはずだ。それなのにちょっと売れると欲も出て、やらなくていいことに手を出してしまう」

独学で夢だったお店をオープンしてみたら...?50代からのセカンドライフ「理想と現実」_img3
井形さんが店づくりの参考にした、イギリスの町や農村地域にある小さな商店(Village Store)。郵便局やティールームを兼ね、地域の中心になっている

井形さんの中には、古着を売っているイギリスの屋台を訪ねた時の記憶が鮮烈に残っていました。そこの女性オーナーは、客が購入に迷えば簡単に値引いたり、物々交換にも応じたりと「右から左へと臨機応変に売り続けるタイプの人」だったそうです。

 

「よろず屋で即行の物々交換はできないけれど、私がやりたかったのはこんなことだった。一瞬の人や物との出会い。それがどんなへんてこな状況であっても、これはいけるとひらめいたら即、行動する。それが仕事につながる。店を大きくしたいわけでも、お金が欲しいわけでもなく、従業員を養うためでもない。自分で好きなように店をやってみたかった。これまでとは違う方法をたくさん試したかった。今や60代になったのだ。世間的な良し悪しより、データに基づいた売り上げ予測より、これからは自分の物差しで、もっと面白がって仕事をしていきたい」

誰に遠慮することなく、自分が面白がって好きなことができる店・よろず屋を、井形さんはこのように捉えています。

「よろず屋は、私がくぐり抜けてきたたくさんの世界が混ざり合ってできたのだ。店というより、『居場所』という呼び方がしっくりくる。もしかしたら、お客さんにとっても現れては消える、楽しみな立ち寄り処になったのかもしれない。こういう居場所が身近にある暮らしを、きっと私は求めていたのだ」


著者プロフィール
井形慶子(いがた けいこ)さん:1959年長崎県生まれ。作家。28歳で出版社を立ち上げ、英国情報誌「英国生活ミスター・パートナー」を発刊。100回を超える渡英後、ロンドンにも住まいを持つ。『古くて豊かなイギリスの家 便利で貧しい日本の家』(大和書房)、『ロンドン生活はじめ! 50歳からの家づくりと仕事』(ホーム社)、『イギリス流 輝く年の重ね方』(集英社)、『いつか一人になるための家の持ち方 住まい方』(KADOKAWA)など著書多数。
公式ホームページ:http://www.mrpartner.co.jp/
ブログ「よろず屋Everyman Everymanから」:http://keikoigata12.blog.fc2.com/

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『年34日だけの洋品店 大好きな町で私らしく働く』
著者:井形慶子 集英社 1650円(税込)

長年、英国情報誌の編集に携わってきた著者が、自分らしい働き方を求めて洋品店を開くまでの経緯をつづった奮闘記。「50代半ばで新しい仕事を始める」「年34日だけの店舗営業」と、常識の壁を次々と乗り越えていく著者の姿に勇気をもらえること請け合い。これまでとは違うセカンドライフを送りたいと願う人たちの背中を押します。



構成/さくま健太

 

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