言いそびれた言の葉たち。いつしかそれは「優しい嘘」にかたちを変える。
 
そこにはきっと、「守りたいもの」がかくれているのだ。
 
これは、それぞれが抱いてきた秘密と、その解放の物語。

これまでの話
大恋愛の末、結ばれなかった佐奈との想い出を封印し、のちに出会った絵里子と結婚した蓮人。あるとき、街で偶然に再会してしまう蓮人と佐奈。「蓮人と結婚しなかったこと、後悔しちゃう」という佐奈の言葉に、蓮人は動揺するが……?
 


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第13話 商社マン・蓮人(38)の話【後編】

 

午前3時。

自分が寝言を言った感触で、ハッと目が覚めた。

暗闇で息を呑む。じっとりと嫌な汗をかいていた。恐る恐る隣に眠る妻、絵里子のほうを見ると、規則正しい小さな寝息が聞こえる。ようやくホッとして息を吐いた。

おそらく、絶対に口にしてはいけない名前を呼んだ。生々しい余韻があった。

僕はそうっとベッドを降りて、キッチンに移動した。月明りの中、ごくごくと水を飲む。まだ胸がどきどきしていた。

佐奈が僕のもとを去ってからの数年間、こんなふうに悪夢にうなされ、苦しんでいたことを唐突に思い出す。そして、「思い出す」と言えるほど遠くに来ていたことに気がついた。

夢の中で……いや、現実でも、10ヵ月に及ぶ海外研修から帰ってきた恋人は、胸が張り裂けるほど待ちわびていた僕と対照的にとんでもなく冷静な目だった。

「好きな人ができたの。ごめんなさい」

その言葉をきいたとき、それがあまりにもありふれた言葉だったので、僕は死ぬほど動揺した。

嘘だ。こんなにも心が引きちぎられるような宣告を、みんなが乗り越えたなんてありえない。

人生で初めて、親より自分より大切だと思った彼女が、はっきりととどめを刺した。

「もう蓮人と一緒にいられないの。本当にごめん。別れてください」