認知症の人を「厄介者」にしてはいけない
 

でも私は、さっきの説明では、まだ不足していることがたくさんあると思います。なぜなら、「チューリップのつぼみを忘れてしまって......」という説明は、あくまで認知症という「病気の視点からの説明」をしたにすぎないからです。 

この説明だけでは、説明を聞いた人がこう反応するかもしれません。「なるほどね。認知症になると、困ったことをするようになるんですね」「なんでお嫁さんが留守のときに限って、余計なことをするんでしょうねえ」

 

おばあさんは「困ったこと」「余計なこと」をする「厄介者」になっています。大切な家族が、ある日を境に邪魔者になってしまうのです。それまで大切にされていた人が、大切にされなくなっていくのです。私は、認知症という病気のいちばんの怖さは、ここにあると思っています。

 

試しに、認知症以外の病気のことを考えてみましょう。たとえば高血圧や、心臓病はどうでしょうか。あるいは、糖尿病でもいいでしょう。どの病気でも、生活に不自由は起こりますし、「できないこと」も出てきます。 心臓病がある人のなかには、塩分制限をせねばならない方もいます。糖尿病の人も、血糖コントロールが必要になります。

でも、たとえば親が高血圧になったから、心臓病になったからといって、親を尊敬できなくなる息子さん・娘さんはいません。祖父母が糖尿病になったからといって、部屋や家に遊びに行かなくなるお孫さんもいません。

認知症は違います。ここまで私は、認知症の人のさまざまな「不可解な行動」を書いてきました。そんな行動を目にしたら、その認知症の人の息子さんや娘さんは、本人を「困った人」 「厄介者」ととらえるかもしれません。親を尊敬できなくなる人もいるでしょう。

おじいさんやおばあさんが大好きだったお孫さんたちも、不可解な行動のあとや、両親が祖父母を叱っている姿を見てしまうと、おじいさん、おばあさんのところへ遊びに行かなくなったりします。

家族の絆が切れてしまうのです。 
私は、ここにこそ認知症の怖さがあると思います。

さらに、こうして家族から浮いてしまった認知症のおじいさん・おばあさんは、何を感じるでしょうか?

不安……焦り……寂しさ……。いずれも認知症を進行させ、症状を悪化させるストレス要因ばかりですね。 悪いことに、認知症の人は、そんな「つらい気持ち」をうまく表現できません。 思い出してください。認知症には、「失語」というコミュニケーション面での症状もありましたよね。でも、言葉にならないからといって、私たちは本人の「気持ち」を無視してもいいのでしょうか?