恋の予感
3週間前、とある平日の昼間。智美はのんびりとリビングでテレビを見ていた。
ここ数年、近所のクリーニング店で週に4回、アルバイトをしている。しかしコロナ禍で店舗を縮小したため、シフトが一気に週に2回に減った。
息子の斗真は高校1年生になり、部活や遊びに忙しくて急に手が離れた。夫の昭一は、老舗メーカー勤務だが予想外にテレワークが少ない。おかげで日中一人の時間がぽっかりうまれ、テレビを見る時間も増えていた。
「そうだ、録画してたドラマ、まだ1回も見てなかった、溜まってるの見ちゃおうっと」
アイロンをかけながら、ドラマをつける。
ところが、はじめは流し見程度だった智美に、次第に変化が訪れた。
――あれ、これって、昔ちょっとカッコイイなって思ってたアイドルの秋野隼人じゃない? 久しぶりに見たら、渋くカッコよくなってるなあ。
いつの間にか、アイロンをかける手は止まっていた。
ドラマの中の秋野隼人は主役ではなく、2番手の役。自分よりもけっこう年下だった気がするから34、5歳だろうか。それでも20代のヒロインを奪い合う役どころに、十分な説得力があった。
――カッコいい……。こんな話し方だった? この役が私のストライクなのかも? え? なんかほんとにカッコいい……!
智美はテレビの前のソファに座りこみ、一気に3話まで見てしまった。とにかく主人公の俳優よりも、ひたすら秋野隼人を目で追った。次第に心拍数があがり、はあはあと口呼吸したくなるほど。
3話までノンストップで見て、はっと時計を見ると17時。木枯らしが吹く窓の外は真っ暗だ。
「ぎゃッ、お買い物にいかないと……!」
頬が熱い。つづきの4話を見たかったけれど、録画はここまで。今日は金曜日だから、最新話が放送される日だ。
智美は素早く頭の中で計算し、今から買い物に行って、支度も片付けもお風呂も21時までに終わるように、すき焼きオンリーにしようと心を決める。こういう時は素材の力のみで勝負だ。
それが、智美の、よもやのキラキラデイズの幕開けだった。
◆
――あっ……これこれ! 秋野隼人出演映画……!! 初日舞台挨拶に登壇予定!?
次の日、智美は夫と息子をいつもより上機嫌で送りだすと、リビングに駆け込んでクレジットカードの会員誌をひっくり返した。
記憶の片隅にあったとおりだ。会員特典・優待ページに、映画の初日舞台挨拶の招待券抽選案内が出ている。
その映画は、ダブル主演として秋野隼人が出ている。しかも登壇予定とあるではないか。
締切を見ると、なんと今日。当日消印有効であることを確認すると、智美は往復ハガキを探すために無言で立ち上がった。
当たるわけないと、自分を諫めていた智美のもとに当選通知が来たのは2週間後。招待券が郵送されてきたとき、正直に言って息子が都立高校に受かったときよりも心拍数が上がっていたと思う。
「ね、ねーえ。今週の土曜日なんだけど、映画の試写会チケットみたいなの友達からもらっちゃって。六本木なんだけど、予定もないし、わたしちょっと行ってみようかなあって」
なぜか微妙な嘘をついてしまう。しかも招待券は2名有効とあるにも関わらず、夫と息子を誘うという選択肢はなかった。今、思いつきましたというようなフリをして、夕飯の味噌汁を無駄にかき回しながら、智美は二人に話しかけた。
「へー、なんていう映画? 俺もいきたいかも」
昭一が、のんきに新聞を読みながらそんなことを言う。絶対に嫌だ。
「いや! 昭ちゃんのキライな邦画よ、邦画。ハリウッド大作みたいに面白いわけじゃないからさ、ちょっとテーマ暗いし。試写会もチケット、余ったんじゃないかなあ」
「へ? 俺べつに邦画キライなわけじゃないけど……? ま、でも辛気臭いやつは気分じゃないからな、家でのんびりしてるか、智美ひとりでいってきたら」
「俺は部活でどうせいないからね、弁当だけ作ってくれりゃOK」
「そっか~、一人っていうのも淋しいけど。た、たまにはいっか~、チケットせっかくもらったしねえ、じゃあ行ってみようかなあ」
智美は、口の端が楽しみでウキウキと曲がってしまうのを必死でおしとどめながら、すっかり沸騰してしまった味噌汁をいつまでもかき回し続けていた。
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