心と体の声


制作のディレクター兼A&Rという仕事は、会社員という枠には到底収まらない仕事です。アーティストと組んで、いい音楽を生み出すのが使命ですが、当然それに付随するプロモーション、人間関係、利権が複雑に絡みあいます。

 

365日がお祭りのような働き方でしたが、まさに無我夢中。

でも3年が経った頃、予想もしないことが起こります。ディレクターとして年齢が群を抜いて若く、口下手な私は、社内政治も下手で。無視されたり、当たり散らされたり、仕事で思いもよらない罠が仕掛けられたり。

私はもともと生真面目で負けん気が強いので、絶対に屈しない! と踏ん張りました。次第に追い詰められていき、ストレスから体調が崩れ始めても、辞めるもんか、負けるもんかって唱えて。

苦しい日々が続いて、1年が経った頃、お腹が猛烈に痛くなり、職場で倒れてしまいます。一人で這うようにして会社を抜けて、近隣の大きな病院に行きました。

まだ20代なかばで、大きな病気なんてしたことがありませんから、検査だけでも内心すごく怖くて。その上、医師から『卵巣に腫瘍が2つできていて、子どもができづらい体だね。ポリープもあるから今すぐ手術するけど、悪性かどうかは検査を待って。こんなになるまで体を蔑ろにして!』と冷たく宣告されました。

手術を終えて、わんわん泣きながら会社に戻りました。今なら、「なぜそこで会社に戻る!?」って思いますが、知らないうちに追い詰められていたんですね。

じつは入社する直前に、大学時代からお付き合いしていた彼と入籍していました。自分の性格上、仕事に没頭してプライベートがなくなることがわかっていたので、時間があるうちにこの穏やかで素敵な人と結婚しておこうという、今思ってもナイスな判断でした(笑)。

だから、その一件をきっかけに夫婦で話し合い、子どもは授かりたい、険しい道のりだけど不妊治療を始めようと決めました。

まずは病気を治す必要があり、1年間のホルモン治療や腫瘍の手術のあとでようやく不妊治療をスタートすることができました。決意して数年かかりましたが、授かることができたときは嬉しくて嬉しくて。もう可能なかぎり体調に気を付けました。

けれども、仕事は休むわけにはいきません。

……今となっては原因はわかりませんが、私は最初の赤ちゃんを流産してしまいます。

赤ちゃんが空に帰った日は、厚い雲が広がる、冬の寒い日でした。

見上げた空から、ひらひら、ひらひらと雪が舞う景色を、私は一生忘れないと思う。

私、こんなに心も体もボロボロにして、何をやっているんだろう? もっと心と体の声を大切にしよう。赤ちゃんは、それを教えてくれたのかもしれない。人生を変えていかなくちゃ。

静かに、固く、心に誓いました。

周囲を見渡せば、同じように激務の中で、心身の不調を抱えながらも休めずに働きつづける女性がたくさんいました。自分も、彼女たちも、もっと心と体を大切にできる方法が、きっとある。

このことをきっかけに、私は自分の将来についてより深く向き合うことになります。