副業・複業。

働き方が自由になったいまこそ、挑戦してみたいですよね。

でも、「二足のわらじ」で歩く最初の一歩って、ハードルが高いもの。そもそも副業とは、どこから見つけてくるのか、自分には何ができるのか、疑問もあります。

そこでパラキャリアを軌道に乗せた先輩にインタビュー。

「一歩を踏みだした瞬間」と、その新しい世界を、教えて二足のわらじさん!

 


みんなが羨ましがるもの≠自分にとって大切なもの【料理研究家・太田みおさん①】


おもてなし心満点のフルコース。滋味あふれる「まごわやさしい」家庭料理。そして心身の調子を整えるアロマの知恵。彼女が教えてくれるさまざまな技のテーマは「ライフスタイルを大切にして人生を豊かにすること」

多才で、一見するとジャンルの違うことに取り組んでいるように見える太田みおさん。でも彼女が二足、三足の「わらじ」をはいて地道に歩く先、目指すものは、どうやら“ささやかでたったひとつのもの”でした。

太田さんに激務の会社員時代、ゼロからどのように得意を仕事に育てたのか、その軌跡を伺いました。
 

 


夢のレコード会社プロデューサーとして社会人生活がスタートしたものの……


小さい頃からピアノや絵を描くのが大好きで、将来の夢がたくさんありました。

その中でも音楽プロデューサーを目指すことに決めて、芸術をトータルに学べる大学に進学。もちろんただ講義を受けていても話は始まりませんから、当時流行ったSNS『mixi(ミクシー)』を通じてレコード会社の方にお話しをききにいき、インターンシップを経験したり、カルチャーマガジンのディレクションに挑戦したり。今思い返しても、伝手がない二十歳そこそこで、必死に頑張りました。

だから新卒でレコード会社に内定したときは、天にも昇る気持ち。のちにきいたところ、同期は4人、倍率は間違いなく4桁以上というのですから、もはや一生分の運を使った気分でした。

そのうえ、なんと制作のディレクター兼A&R(アーティストの発掘・育成・制作担当)として配属されたのです。夢だった、音楽を生み出す、アーティストとの距離が最も近い仕事です。おまけにこれ以上ない、大舞台。

私は、すべてを仕事に懸けて、まっすぐに走り出しました。

でも、その先に待っていたのは、人生で初めて体験する悲しい出来事でした。

……すみません、二足のわらじの話なのに急に重たくて(笑)。でも、ここはどうして今の仕事を選んだのかに関わるターニングポイント、人生のテーマをみつけるきっかけなので、お話しさせてください。

次ページ▶︎ 念願の音楽プロデューサーとして始動した太田さんに襲い掛かった大試練とは?

【写真】太田さんがパラキャリアを通じて伝えてきた「やさしい」奇跡
▼右にスワイプしてください▼