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別荘エリアに建てられた、川上さんの軽井沢の自宅。

「こっちは時間がゆっくり流れているから、東京に行くと戸惑うこともあって」。そう話すのは、ミモレでもお馴染みのフードディレクター、川上ミホさん。アートディレクターの夫と娘さんと軽井沢へ移住し、東京との二拠点生活を送る川上さんに、二拠点に至った経緯とその暮らしぶりについて伺いました。

 

仕事のスピード感を失わないために東京にも拠点を


「きっかけは、娘の幼稚園の入園です。もともと東京の自宅の近くのプリスクールに通っていたのですが、縁あって新しくできた軽井沢の幼稚園に通うことになったのが一番大きな理由でした。東京のプリスクールは早くから英語や平仮名などを教えてくれる教育熱心な学校で、先生やお友達にも恵まれて特に不満はありませんでした。ただ、小川や森などでのびのび遊びまわる幼少期を過ごした私としては、娘にも自然の中で遊ぶ経験もさせてあげられたらとずっと考えていたんです。

それから、小学校進学について悩んだことも一因です。住んでいたエリアは受験するのが当たり前で、幼稚園のうちから準備を始める必要があると聞いていました。でも、受験に取り組むための理由がわが家には見つからなくて。素晴らしい学校はたくさんあれど、“自然の中でのびのび遊ぶ“という選択肢を手放せなかったんですよね。娘が入った学校は幼稚園から中学校までの一貫校で、子どもの個性や興味、のびやかさを大切にしてくれる教育方針にも共感しました。私も夫も、娘には自分の人生を自分で切り拓いていく生命力を身につけて欲しいというイメージがあったんです。自然の中でそんな育ちができたらと思ったら、迷いはありませんでした」

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天気の良い日は庭でのご飯も楽しみのひとつ。

田畑の多い地域で育った川上さんは、もっと子供らしい暮らしを送った方がいいのでは? と考え、馴染みのあった軽井沢に別荘感覚で使える家を建てようと、2018年の夏から土地を探し始めます。当初は暑い夏の間だけ過ごそうと思って建てたアトリエでしたが、建築中に予定が変わり、娘さんを軽井沢の幼稚園へ通わせることに。そこでコロナで緊急事態宣言が出る直前の2020年3月に生活拠点を軽井沢へと移し、東京とのデュアルライフをスタートさせました。

「私は日本一暑いと言われる埼玉の熊谷で育ったので、子供の頃はよく夏に軽井沢に行っていたんです。大人になってからは、主人の親友がUターンして軽井沢に戻っていたこともあって、家族でよく訪れていて。友人家族が住民目線での軽井沢の暮らしを教えてくれて、興味はありました。こんなにすぐ実現するとは思っていませんでしたけど(笑)」

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7年前に軽井沢にUターン移住したという友人宅で過ごす休日。軽井沢で暮らす魅力について教えてくれた恩人だという。

そこから折に触れて軽井沢の良さを知るようになり、前述のように娘さんの幼稚園の入園を機に軽井沢へ。現在は、平日は基本的には軽井沢、都内で仕事があれば新幹線を使って日帰りしたり、仕事を固めて家族みんなで数日間行くことも。夏休みのような長い休みの時は、半分ぐらい東京の家にいるのだそう。その時々の予定に合わせて流動的に滞在しているそうですが、なぜ東京の家を残すという選択をしたのでしょうか。

「東京に家を持ち続けるのは、ホテルとはまた違う家の心地良さや安心感があるから。撮影の前などは前日に軽井沢から移動して、仕事のコンディションを整えます。掃除をしなきゃとかそういうことはありますが、やっぱり家がいいんですよね。東京に行く環境を残し続けているのは、仕事のことが大きいですね。軽井沢の暮らしはすごく好きで快適だけど、東京のスピード感も大切にしたかったというか。そういう意味でも、どちらかに寄りすぎないように行き来しているのは、私にとってはすごくいいかなと。そういえば、移住したばかりの頃、3ヶ月軽井沢にこもっていたら、時間と方向感覚が完全に狂ってしまって、行き慣れた日比谷の駅で迷うなんていうこともありました(笑)

あとは、東京のことも好きだし、東京の視点があるからこそ軽井沢の魅力がよくわかるというか。複数の視点から見られるっていうことも大きいかもしれませんね」

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自宅前の静かな森に「とんっ」と響く山栗が落ちる音。濃厚な味で、「まさに秋の森のごちそう」と川上さん。
 
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