ファッションスタイリスト佐藤佳菜子さんが日常のおしゃれについてのアイデアや思いを綴る連載です。

 


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大変遅ればせながら、本年もよろしくお願いいたします。
年が明けて、いつのまにかこんなに日にちが経っていました。

毎年、年末年始には、新しい年こそは落ち着いていろいろなことに余裕を持って取り組もうと心に誓うのですが、なにせ誓いが軽くて短い。年明けあっさりバタついて、さっそく猛ダッシュで次の予定へ急ぐ日々です。みなさまはどんな新年の抱負をお持ちですか。

新年早々に、91歳だった祖母が亡くなり我が家に喪服問題が勃発。12年前に母が亡くなった時に買った喪服はたびたびの引っ越しを経て、今、ロンドンにあるのか東京で借りているトランクルームのなかにあるのか、そうだとしても果たしてどの箱に入っているのか、まったくの行方知れず。出てきたとしても、12年前の服はいくら喪服とはいえどんなデザインなのか。

喪服がいるタイミングというのは、わたしの場合いつも突然くる。もちろん、常にワードローブに隅で万が一の時に備えているのがベストな状況ではあるけれども、そんな常識的な大人だったらいろいろ苦労しない。喪の席では、親戚のオバ様方は大抵きちんとした装いをしているので、40歳になってもぴらぴらしている服などを着ていたらきっと、厳しい視線を向けられるに違いないと、わたしと妹は戦々恐々。さて、どうしよう。何を着よう。

よくいえば、物持ちの良い、悪くいえば、物をため込んでいる妹のクローゼットから、母の喪服なるものが出てきた。これにより、生前の母のサイズが着られる妹は難なく喪服問題をクリア。ただし、そのジャケットについていた荻野目洋子も驚くほどの盛大な肩パットを外したのは、もちろんわたしだ。わたしはなけなしのワードローブから見つけた無難な黒のワンピースを着たのだが、これを機にもう一度喪服を新調しようと決めた。

たかが喪服ではあるけれども、されど喪服。そこそこしっかりした物をと思うとそんなに安くもないし、ただ滅多に着るものでもない。それにワンピースとノーカラーのジャケットのよくある喪服はいくら喪服だと思っても、気が進まない。だって、あの服を着た途端、40歳のおばさんが鏡の中に現れる。わたしがシジュウであることは事実なのだが、シジュウのおばさんゼンとしなければいけない理由もない。

ジャケット、パンツ/セオリー

葬儀の席で叔母が着ていたパンツのセットアップ。それしかないと思った。普通のジャケットとラインの綺麗なパンツ。それがあれば、どんな時も困らない。以前、店頭で買い物をしていたときに、オンラインショップには、店頭にはない小さなサイズが売っていることを小耳に挟んだのを思い出したのと、おそろしくベーシックなジャケットとパンツならセオリーが適任。シンプルなノーカラーのジャケットと、フルレングスのパンツを買った。これにてわたしの喪服問題は一件落着。喪服を備えたことで、すこしまともな大人に近づいた気がする。新年早々、幸先がいい。

そして、思いがけぬ副産物を得た。届いたパンツを試着してみたら、あてずっぽうで頼んでみたサイズXX0(エックスエックスゼロ)がお直しなしでぴったり着られる夢のサイズだった。そして時はセール。その後追加で同じサイズのパンツを3本買ってしまった。

 
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