オーダー制の焼き菓子屋「鎌倉ハナクルス」の主宰者として、観光客にも人気のデリカテッセン「LONG TRACK FOODS」のスイーツ担当として、忙しい日々を送っていたクッキーアーティストのMioさん。東京の下町周辺で育ち、20代前半で2年ほど沖縄に住んだあとは、鎌倉で3人のお子さんを育てながら働いていました。ところが2020年夏、20年近く住んだ鎌倉の地を離れ、縁もゆかりもない長野県飯田市に移住。それは移住を考え始めてわずか4ヶ月後のことでした。
コロナと息子の転職を機に移住を決意
「きっかけはコロナと長男の転職でした。我が家ではその少し前から農業が盛り上がっていて、長男が勤め先を辞めて農業をやりたいと言うようになって。私も農業には興味があったので、鎌倉周辺で就農先を探しましたが、未経験者が働ける場所はなかなか見つからなかったんです。農業の中でも果樹をやりたいという夢があったので、だったらそれが叶う地域に引っ越した方がいいんじゃないかと。
そんな時にちょうどコロナが流行り始めて、2020年2月の時点で“このままだと東京が機能しなくなる!”というぐらい私は危機感を感じたんですよね。飲食に携わっていたので、収入は明らかに減るだろう、鎌倉の高い家賃なんて払えなくなる日が来るかもしれない、こんなところに呑気に住んでいられないかもって」
当時次男は東京の学校の寮に入ることが決まっており、長女は高校受験を控える身。シングルマザーのMioさんは、このまま一家が鎌倉に住み続ける必要はないと考え、移住先を求めて以前から好きだった長野に向かいました。
「車を飛ばして当てもなく県内を巡っていたら、たまたま“ウワー!”と思う土地を通りかかったんです。そこは中央アルプスと南アルプスに囲まれた伊那谷という大きな谷で、そんな景色はこれまで見たことがなかった。“ここに住む!”って直感的に思いました」
ノルマンディ地方のような空気感が気に入って
Mioさんがその時気に入ったのは、最終的に移住先として選んだ飯田市のお隣、松川町。果樹園の多いその町は、りんご畑がとても素敵で、フランスのノルマンディ地方のような空気感を感じたのだとか。もともと寒いのが苦手で、移住先は「温暖な気候であること」が条件の1つでした。日本全国温暖な地域は数あれど、りんご畑があるところはそうありません。りんごのお菓子が何より好きで、りんごさえあればお菓子作りには困らないとまで思っていたMioさんは、早速松川町で家を探し始めます。ところがなかなか住む場所は見つかりませんでした。
「役所にも問い合わせてみましたが、思い通りの物件に出会うのってすごく難しいんですよね。お金がある人は自分で家を建てればいいけれど、私はお金があるわけじゃない。しかもシングルマザーで仕事も辞めてしまっているので、保証も何もない状態で。市役所の移住窓口で相談に乗ってもらいましたが、結局不動産屋さんを介して見つけた飯田市の借家に住むことになりました。娘の高校のことがあったので、3年間は住みやすいところということで、JR飯田線の徒歩圏内で探しましたが、家賃は鎌倉の家の3分の1です」
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