夫婦でインテリアデザイン事務所・株式会社FFAを経営する捧直美さんは、15年暮らした東京・目黒を離れ、2021年7月に旦那さんの故郷である新潟県三条市にUターンしました。三条市は、新潟の中央に位置する金属加工業が盛んなものづくりの街で、山にも海にも気軽に行ける場所。捧さん夫婦は、その三条市で2歳になる息子さんと一緒に田舎暮らしを満喫しています。東京暮らしも長く、若い頃は地方へ行くことなんて考えたこともなかったという捧さん。移住に踏み切ったきっかけやその経緯について伺いました。

捧さんの住む下田地域は、特別豪雪地帯に指定されているエリア。自宅近くはそこまで雪は積もりませんが、街から離れるにつれて雪深くなっていきます。


数年前から漠然と東京を出ようかなと


「以前借りていた目黒の自宅兼事務所は3年の定期借家で、家賃も高いし、契約した時から2回目の更新はないよねって夫婦で話していたんです。契約したのは2016年のことですが、それ以前から漠然と東京を出ようと思っていて。よく考えたら、2011年の震災あたりが考え始めるきっかけだったのかもしれません。当時は独立してガンガン仕事をしていましたが、こんなに大量にお店を作ることが本当に良いことなのかなって思うようになったんですよね。この震災を機に、世の中が変わるんじゃないか、変わった方がいいのにと。

 

それからこれはここ数年のことですが、私たち夫婦がやっているアパレルの内装デザインの仕事は、オリンピックが終わったら減る一方だとみんな言っていたんですよね。オリンピックまでは何とか踏ん張れるけれど、そのあとはちょっとヤバいなと。私はもともと山が好きだったので、それもあっておぼろげにそういうところに住みたいなとは思っていました。実際に動いたのはそれよりもだいぶ先、2020年の年末から2021年にかけてでしたけど」

捧さん夫妻が手がけた内装。

捧さん夫婦は、アパレルや保育園、老人ホームなどの内装設計とインテリアデザインを手掛けており、現場は全国各地に点在しています。打ち合わせは東京で行うものの、それ以外は現地に出向いたり、事務所内で行う作業がほとんど。毎週のように大阪に通っていたような時期もあったため、東京以外の場所で暮らすことには抵抗がありませんでした。そこで自然と他の土地に目が行き、捧さんが山好きということから長野と山梨が移住先候補に挙がったのです。

「長野は八ヶ岳の別荘地、原村というすごく素敵なエリアに住んでいる知り合いがいて、その辺りもいいねという話をしていたんです。他に山中湖の方もいいなと思っていたら、ちょうど著名な建築家の弟子が建てた山荘を見つけて。デザインもいいし富士山を望むロケーションも最高で理想的な家でしたが、修繕の必要性と別荘地の管理費の高さを知ってやめました。何より現地に行ってみたら、ここで本当に何十年も暮らすのかなって少し疑問に感じることがあったんですよね。長野も山梨も、その土地に対する取っ掛かりが何もないというか……」

遠くに望むのは日本海。自宅からは、海にも山にもすぐに行くことができます。


どこにでもあるような街には住みたくなかった


そこで浮上したのが、新潟の旦那さんの地元にUターンするという話でした。もともと新潟の実家に行く機会は少なく、旦那さんも東京が好きだったこともあり、帰るつもりはそれほどなかったと言います。ところが移住すると決めた途端、あれよあれよと話が進み、実家からほど近いエリアで家探しをすることになりました。

「夫の実家は街の方にあって、私が生まれ育った千葉とそんなに雰囲気が変わらないんです。大型スーパーもあってそれなりに不便なく暮らせるような場所で、でもせっかく都会を離れるのにそれだと一緒でつまらないなと。最終的に移住先として選んだ下田(しただ)地区は、夫の実家から車で10分ほどの距離ですが、程よく田舎で以前からいい感じだなと思っていたんです。標高は高くないけど山に囲まれていて、街から川を越えるだけで行ける場所。2005年に三条市と合併するまでは下田村という村で、過疎地域にも指定されていますが、市内と近いのでそれほど不便なく、自然豊かないいところなんですよね」

捧さんが気に入ったエリアは、スノーピークの本社とキャンプ場、棚田、温泉などもある自然に恵まれた土地でした。しかし普通の賃貸情報サイトでそのエリアの物件を探しても、出てくるのは街中のアパートばかり。そこで夫妻は、三条市がやっている空き家バンクのサイトをチェックすることにしたのです。

捧さんが日々目にしている自宅近くの景色。
 
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