この数年、多くの著作が翻訳され、世界各国でベストセラーになった作家、川上未映子さん。「自身の作品が世界に向けて開かれた」という実感があるのかと思いきや、「小説がべつの言語で読まれるときに、その読者は原文の、どの部分を読んだことになるのか」など、あらためて考えされられることが多かった2年だったといいます。そんな中で、川上さんが手がけた翻訳作品は、長年愛され続ける絵本『ピーターラビット』。そこにある「言葉を超えて伝わるもの」と「日本語だからこそ伝わるもの」とは、一体どんなものでしょうか。
親が面白い! と思ったら、子どもは複雑さを乗り越えてくる
自身も9歳の男の子の母親である川上さん。絵本『ピーターラビット』への興味はそういったところから……? と思いきや、絵本の読み聞かせは「熱心にはやらなかった」のだとか。
「そうなんですよ。どちらかというと、うちは映像のほうがメインだったような気がします。どこまで理解してるのかはわからないけど、ストーリーを楽しむのに慣れたあとからは、わたしが面白いと思う本を説明しながら読むことはありました。イソップは説教臭くてつまらないというので、童話はアンデルセンでした。ちょっと怖いところが面白くて、お気に入りは『パンを踏んだ娘』。靴を汚すのが嫌で、両親のためのパンを沼に投げ込み、踏み石代わりに使った女の子が、パンもろとも沼に沈んでしまうという話です。<パンを踏んだ娘を地獄の柱にするのはやりすぎとちゃうか>、<いや、この時代のパンには今のパンとは違う意味があるんやな>みたいなところから始まって、地獄の鍋のなかはどうなっているかとか、本によっては結末の違うバージョンもいくつかあるので読み比べたりとか、読書会みたいな感じになって。たくさん読みきかせをするのではなく、ひとつの作品について、ああだこうだと話して楽しむという感じでした。ピーターもそう。たとえば、<ここで描かれるピーターたちと人間は、どう違うのか?>ってところから、いろんな話ができると思います」
そこから始まる「いろんな話」については、後ほど触れることにして。『ピーターラビット』への川上さんの興味は、まずは著者であるビアトリクス・ポターにあったようです。
言いつけを守れないピーターの描き方に滲む著者の生い立ち
翻訳するにあたって、作者ビアトリクス・ポターについても調べたという川上さん。「ポターは枠にはまらない人だった」と言います。
19世紀後半、イギリスの裕福な家に生まれたポターは、学校に通ったことがありません。当時の女性の習慣として家庭教師から教育を受けた彼女は、友人を含めて外界との接触がほとんどなく、その中で動植物に興味を持つようになります。『ピーターラビット』を見ると、動物の毛並みから植物や木々、風景など、イラストレーションの(もちろん手書きの!)精緻さに驚かされるのですが、それは彼女の知識が博物学の研究者レベルだったから。でも女性であるがゆえに認められることはありませんでした。
「彼女の人生はすごい抑圧の中にあり、動物だけが友達という時期もあったようです。でも彼女の動物に関する興味には、<孤独な人間が動物を愛玩する>とは違うものを感じます。例えば死んだウサギを骨にして、骨格からスケッチするとか、ときに人間にたいする以上の感情を抱いている様子とか。当時としては珍しくなかった<動物に服を着せた絵>も、動物が擬人化されていないーー人間のような表情を作らず、徹底的に写実的なのも彼女独特の部分。社会の縮図を描きながら、予定調和的な勧善懲悪は書かれない。絵にも文章にも、ポターの手数の多さ、徹底ぶりがみなぎっています」
クラシックの力は、時代によって異なる読み方ができること。『ピーターラビット』もまたそうした作品で、最初は絵の可愛さやユーモアで楽しく読めますが、読み込めば読み込むほど、その「今日性」が立ち上がってきます。
「たとえばピーターのきょうだいたちはお母さんの言いつけをきちんと守れるのに、ピーターだけが『畑に行っちゃダメよ』と言われた途端に、その畑にバッと飛びだしていくような子ですよね。たまねぎもしっかり持てずにごろごろ落としちゃうし。でもポターは、そのピーターの個性を愛すべきチャームとして、イジメられるでもなく、批判されるでもなく描きます。そうした視点はシリーズをとおして徹底しています。“良い世界を作るため”にそう描いたんじゃなく「そこにある個性を描くとそうなる」として書かれたように感じます」
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