ファッションエディターとしてミモレでもお馴染みの昼田祥子さんは、2020年11月に旦那さんの実家がある山形へ移住しました。とりあえず2年限定で山形暮らしをしようと決めた昼田さん。移住に至った経緯や現在の暮らしぶりについて伺いました。
きっかけはある本を読んで感銘を受けたこと
「地方移住を考えたきっかけは、3、4年前にIT批評家の尾原和啓さんが書かれた『どこでも誰とでも働ける 12の会社で学んだ“これから”の仕事と転職のルール』という本を読んで感銘を受けたことでした。著者の尾原さんはシンガポールやバリ島を拠点にしていて、必要な時だけ日本に来て、基本的にはオンラインで仕事をしているんですね。それを知って、こんな夢のような生き方があるんだ、私もこういう生き方をしたいって思ったんです。でも当時夫は会社員で、普通に東京で働いていたのでそれは難しいなと。私がやっているファッションエディターという仕事は、撮影と打ち合わせ以外はどんな場所でもできる仕事なので、地方へ行っても問題ないと思っていましたが、当時は妄想レベルでした」
そんな一家に変化が訪れたのは、コロナ禍でのこと。旦那さんが急に「仕事を辞めてもいいかも」と言い出します。
「それを聞いた時は、やったー! って思いましたよ。密かにこの人が仕事を辞めないから移住できないんだって思っていましたから(笑)」
旦那さんはそれからわずか1カ月で会社を辞め、当時3歳だった娘さんの幼稚園入園も見据えて2020年11月に東京を離れます。移住先に選んだのは、旦那さんの実家がある山形県山形市でした。
最初に決めたのは2年という期間
「コロナであと2年はこの状況が変わらないと思ったので、自分の中で2年という期間を決めて行ったんです。永遠に移住してそこに住むというわけではなく、とりあえず2年好きなところに住もうと。私の場合は、一切の準備なしで取り組む移住。というか、移住だなんて思っていなくて、ただの引っ越しです。
山形は帰省の度にいいなと思っていて、食べ物が美味しくて山がたくさんあって、至る所に自然がある環境が好きだったんですよね。私は広島出身で縁もゆかりもありませんが、この土地が肌に合うなと。あとは夫の両親のこともすごく好きで、そんな大好きな人たちと大好きな環境で楽しく暮らせるって素敵じゃないですか。結局隣のマンションを借りましたが、もっと近くに住みたいぐらい(笑)」
ポイントは「地方で都会的な暮らしをすること」
昼田さんが家選びで重視したのは「地方で都会的な暮らしをすること」でした。山形は車社会ですが、理想としたのは徒歩と電車の生活。また、山形は雪も多いので一軒家だと雪かきも大変になってきます。不便なことを快適だと思えない昼田さんは、自分にとって絶対的に必要な条件をラインナップし、家探しを始めました。
「そうは言っても、最初はちょっと移住しちゃう? じゃあ家見に行っちゃう? くらいの軽い気持ちだったんですよ。以前住んでいた横浜の家は駅近で、住みやすい街ランキングにも入るようなエリアだったんですね。私自身もその環境が気に入っていたので、環境的にそことまったく同じ条件にしようと思いました。地方に行って自給自足の暮らしをしたかったわけではないので、あえて徒歩圏内で生活が成立する山形駅に近いマンションを選ぼうと。それから家賃を下げる気もなかったので、同じ家賃でどこまで楽しい暮らしができるかなということも考えながら選びました。レベルを下げると、なんで移住してしまったんだろうって思う時が来るかもしれないじゃないですか。
だけどそこが変わらなければ、今までと同じモチベージョンが保たれるし、不便さを感じないから移住に対してポジティブな気持ちでいられる。そこのレベルが変わると自分の選択を悔やむことになりかねないので、私の場合は生活レベルを同じにしたというのがポイントだったかもしれません。結果的に、この家が見つからなかったら来ていなかったと思えるほどいい物件に出会えました」
結果的に家の広さは1.5倍になり、食材が安い分料理のバリーションが増えて食卓が賑やかになりました。雪国という土地柄、お湯を使う頻度が増えてガス代は高くなったものの、月々の生活費は変わっていません。
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